2015/02/24

Facebookをやめていた3ヶ月。

突然Facebookを辞めると言って3ヶ月くらいだろうか。

またまた突然やけど、Facebookを再開しようと思う。


結局再開するんやん!と思ってもらっても一向に構わないが会った時はゲンコツをくらわす所存であるから覚悟するように。

理由は簡単である。

パラグアイの民宿小林のお母さんに言われた一言がきっかけ。

「君の幸せは人が運んで来てくれる。」



民宿小林ではお母さんに頼めば姓名判断をしてくれる。

それによると、僕の名前の運勢は小吉らしい。

けどその内容が当たっているから恐ろしい。

どうやら僕は、短気で神経質だそうだ。

そして忍耐力に欠けるらしい。

それは特に人付き合いで発揮される。

気分の浮き沈みが激しく、皆でワイワイ一緒になって騒いでいたと思ったら、突然1人になり自分の殻に閉じこもって他人を寄せ付けなかったりして、周りからは一風変わった人だと思われているのだそう。

悪いけどそれは知っている。

ワイワイとバカみたいに騒ぎやがって!

俺は一人が好きなんだよ!

って思って他人を邪険に扱ったりする時がよくある。

それは全て、激しい気分の浮き沈みに左右されている。

幸せになるためには、短気をやめ忍耐力をつけなければならないらしい。

人がその幸せを運んで来てくれるから。


それがFacebookを再開するのとどう関係があるのか?

まぁここでまずFacebookを辞めた理由をもう一度説明しとこうと思う。

・自分が自分じゃなくなるから。
・無差別に入ってくる情報に精神が耐えられない。
・Facebookに投稿するのにも時間がかかるのに、いったい誰のために旅をしているのかわからなくなった。
・Facebook上のいいね!やコメントという機能が他人と繋がってるという偽物の安心感を与えてくる。

まぁ硬く言えばこんな感じ。

簡単に言えば要するに、他人の意見やそんなもんで自分がブレブレになっちゃうほど茹でた素麺みたいな芯しか持ってなかったってこと。

社会で9年働いて、色んな経験や出逢いを重ね自分の中の芯はもう鍛冶職人が手掛けた日本刀ぐらいに思ってたけどその有様。

そんな中、旅は自分を見つめ直し知るのに良いも悪いも素晴らしい経験をさせてくれる。

だから何よりも自分を知ることから始めようと思ったのである。

そのためにまず自分をブレさす外界の情報を一切遮断するところから始めた。

つまりそれが身近なところでFacebookを辞めるということだったのだ。

今までの出逢いを全て帳消しにしてしまうかもしれない。

けどそれはそんだけのものやったんやろ。と捻くれた僕は思っていた。

大事にしたいのは、自分、目の前の人やモノ、本当の繋がり。

それは自分の全六感を使って得るものだと思っていた。

そしてまずそこからだと、270度あった視野を90度にした。



そして3ヶ月。

たった3ヶ月だけだと思うかも知れないけれど、その視野で見て経験して考えたものはその期間の長さとは比べ物にならなかったと感じる。

270度の視野で見ていた時、何度も世界は残酷だと思った。

けど90度の視野で見た世界は自分を知るのに充分だった。

それでも今だから思うだけ。

この3ヶ月、途中、出口の見えないトンネルの中にいるような気分になった。

トンネルというより本当に蓋のない真っ暗な底にいるってやつなんだろう。

Facebookを辞める前から不安定だった精神状態が、自分に集中すればするほど僕の黒い部分を露わにし、引き続き蝕んだ。

自分はこんな人間じゃなかった。

もっと明るい人間だった。

なんでも楽しめる人間だった。

そんな事で悩み、大切な人を大切にできなくて八つ当たりする時もあった。

こんな俺といても楽しくないでしょ?と聞いてしまう時もあった。

最終的にはペルーで入院し、もう旅を続ける気力もなくなった。

精神状態が悪い時、何をしても、何をみても、何を食べても感動なんてしないものなのである。

それは世界を旅していて本当につまらないことなのである。


日本に帰りたい。

ただただその思いしか頭をよぎらなくなった。

そして気が付いたら親に、

もう辛すぎるから帰ろうと思う。とメールを送っていた。

この時、親がそれならばと救いの手を差し伸べていたのなら僕は間違いなく帰っていた。

南米や今までの旅の全てを無視して。

そしてもし帰っていたら、世界一周なんて、旅なんてつまらないものだと言うようになったかもしれない。

そこまでにはならなくても、この旅は僕にとって意味のないものだったと思っていたことだろう。

なんてしょうもない人間なんだろうと思う。

けど、親は僕が期待していた通りの返事はくれなかったのである。

「負けるな‼︎」

と、一喝された。

「人はイスラム国のように殺されることはあっても負けるようにはできていない。一度決めて出て行ったこと、病気になること、人と人との出逢い、接し方、その一つ一つが経験やんか。弱気にならず、自分を信じて進まんか!」

と、怒られたのである。

帰って来いと言われると100%思っていた僕は、もうそりゃ目玉が飛び出しましたよ!

救いの手を差し伸べてる子供に、なんてこと言うんや!と。笑

親に相談とか弱音とかをほとんど言った記憶がなかったので知らなかったのですが、

これがうちの親の、子の救い方みたいです。

よく知ってらっしゃる。


そう言われたらやるしかないやろ!

親に弱気な三男坊って思われる訳にはいかんやろ!

何しに世界に出てんねや俺は!

とまぁあとは笑ってしまうほど単純。

けど親のその一言は、僕には神の救いの一言のように暗闇に光を指しのべてくれるものでした。

底から這い上がるのは容易かったです。

そしてそこには僕がまだ感じたことのない世界がありました。

そして自分を知りました。

全てのものを大らかに受け容れる心を持ちました。

その中でブレない自分を手に入れました。

だからこそやっと本当に次の段階に進めるようになりました。

一つ出来てまた一つ。

そういうところは不器用なのかもしれませんが。


僕が自分以外(彼女は自分同様なので省略。まぁその点はまだまだ未熟者ですが、、、)でこれから大事にしていきたいもの、日本に帰ってからやろうと思っていること、

それは人と人との繋がりをつくることです。

コミュニティつくりです。

旅に出る前から、日本で今一番残念なのは人の繋がりがなくなったことだと思っていました。

隣の家の人がどんな人かしらない。

同じマンションでも挨拶もしない。

それ以前に、子供が何をしてどこにいるかもしらない。

僕は日本が戦後、ここまで発展した背景には必ずと言っていいほど人の繋がりの中での助け合いがあったんだとおもってます。

だからこそ、一人では生み出すことのないエネルギーが生まれたんだと。

 昔は美容室も小さいながら、おばちゃんたちの社交場として活躍していたのです。

それも立派な繋がりだと思っています。

ヘアサロンのサロンという言葉の語源は、「人が集まる場所」なのです。

何も無いのに自然と人が集まる場所。

そういう場所を作りたい。

いうなれば、美容室としての原点回帰です。

美容室には老若男女、年齢性別、職種問わずさまざまな人が来てくれます。

僕はそのおかげで様々な話を聞き、経験をしました。

それをそのうち分けてあげたいと思うようになりました。

あなたと違う誰かは全く違う人生を歩み、今もなお違う線路を歩いているけれど、2人とも僕が切っているという事実が2人を繋げるきっかけになれたらいいのになぁ、なんて事を考えるようになりました。

それを無理矢理繋げようとは思いませんが、ごく自然にそれを出来るようにしたいなと思います。

それなのに、やってることと言ってることが矛盾しているなぁと思いました。

まぁ一つずつしか出来ないみたいなのですいません。

昔と違い、今では簡単にSMSなどで人が繋がるようになりました。

本当の繋がりって何なの?と思うようになりそれを受け容れられなくなりました。

けど、大らかに大らかに。

利用できるものは利用しよう。

何より旅で出逢った人達と昔より簡単に連絡が取れる、

今まで出逢った人達とも簡単に連絡がとれる。

要は、そういうものを使う時の己の気持ち次第なんだと思う。

その出逢いを紡いで行くのは結局自分次第だから。

そしてもう無差別な情報という暴力に負けることはない。

だって僕の幸せは人が運んで来てくれるから。

その為に、僕がやるべきことはそう多くない。

それをあとはやるだけ。


そんな僕をこれからもよろしくお願いします。







最後に、我慢強く一緒にいてくれた彼女にありがとうと伝えたい。











2015/02/23

パラグアイは優しさの国だ。

パラグアイは優しさの国だ。

旅の疲れをこの大自然が癒してくれる。

癒し以外、何もない。

それがパラグアイだ。

民宿小林に3泊だった予定も、気が付けば5泊。

しかも、自分達では4泊しかしていないと思っていたのが恥ずかしいかぎり。

民宿小林にいた5日間。

特に何をしたというわけではない。

というか、周りに何もないのですることもない。

本当に心からのスローライフを味わうだけなのである。

自然に一番近いところで生きる。

それだけで心洗われる。

朝日を浴びて、飯を食って、風を感じて、釣りをして、馬に乗ったり、毎日違う夕焼けを見て、皆で寝転びながら星空を見る。

そして、寝る。

その単純な生活の中にいても、何もないという環境が自分の普段使われていない感性を刺激する。

雲の流れ、草木の揺れ、花の形、土の匂い、星の美しさ。

いつも身近にあるものはずなのに、遠くに感じているものを愛おしく想える。

もう一度、生きる上で本当に豊かにしてくれるものを教えてくれる。

そしてその全ては、このパラグアイの大地と民宿小林のお父さん、お母さんの心からのホスピタリティによるもの。

本当に優しい。

そして毎日作ってくれるご飯が最高に美味い!!

僕らがいた5日間でも、カレー、アサード(アルゼンチン風BBQ)、蕎麦、すき焼きとえげつないメニュー。

しかも全て500円でえげつない量!

で、毎度毎度、何かしらのサービスの品を付けてくれる。

貧乏バックパッカーには本当にありがたいとしか言いようがないのである。

そういう優しさはきっと、辛さを知ってるからできるんだと感じる。


このパラグアイのイグアス居住地への移住は戦後の日本で行われた改革の一つ。

パラグアイという所は物凄く素敵な楽園ですよ〜、移住しませんか〜??

ってな具合に言ってたらしいけど実際は、

日本が敗戦した為、択捉や満州や世界各地にいた日本人を母国に戻さなければいけなくなった為に、敗戦して金がない日本国は国民を養うことができなくなったのが理由だそう。

けどそんなこと公にするはずもなく、移住は素晴らしいですよーってことを吹き込んでいたので、その政府の口車にうまいこと乗せられてここへやってきた!!ガハハっ!!

と、50年前に移住した小林のお父さんの義理のお兄さんが笑う。

政府は、移住地は既に整っているとでまかせをいい皆を日本からアルゼンチンのブエノスアイレスまで船で運んだ。
48日かけて船底で波に揺られ、船酔いになりながら耐えながら渡った。その時飲んだオレンジジュースの味、初めて黒人を見た時の衝撃、物資供給などの為に港に着いたほんの数時間で行ったパブでのダンス、見ず知らずの日本人が自由に食べてくださいと出してくれたご飯。
そんな経験をしながら着いたパラグアイ。
政府がいう場所はどこにもなかった。
あるのはただのジャングルだった。
木を切り家を作るところから始まった。
毎日蛇とネズミとの戦いだった。
それでも日本人は働き者だから、毎日必死で働いた。
けど働けば働くほど次々と人が死んでいった。
そして沢山の人がこの場所から逃げ出した。
それでも働いた。
次は働けば働くほどお金が無くなっていった。
その頃は大豆しか作る手立てがなかった。
なんとかして大豆を作っては売りに行った。
けど赤字にしかならなかった。
そんな時助けてくれたのは結局、日本の政府だった。
努力のかいあり、作った大豆を日本政府が高く買ってくれた。
今では自分たちの手でなんでも作り、電気も水も食料も日本にいた頃より不自由ない暮らしができているが、ほんの15年ぐらい前までは電気もなかったよと語ってくれた。

民宿小林のお父さんお母さんがこの地に来たのも小学2年生ぐらいの時らしい。

今の生活からは感じることのない苦労。

その壮絶な苦労の果てに、その優しさがある。

なぜなら、苦労を乗り越えられたのは結局のところ人の繋がり、人の助けだったから。

と教えてくれた。


凄い話を聞くことが出来た。

生きた話だった。


そういうことからもう一度言うが、

パラグアイは優しさの国だ。


南米に来たら寄るように。

これは命令である。

2015/02/19

再びパラグアイへ。

今度は本当にバスに乗れたのでリオを出ました。

次に目指すのは、、、

パラグアイ!!

2度目の入国!出戻り!!

本来なら、イグアスに行って滝見てブエノスアイレスってルートやったんやけどね。

ブログ読んでる人はわかるかな?

ブログ読んでるのもしかしてオカンだけかな?

じゃーオカンは分かるかな!?

せーの!!


すき焼きを食べに戻るため!!

オカン、正解した?

まぁそうです。そうなんです。

すき焼きを食べる為なんです。

前に紹介した通り、パラグアイには戦後移住した日本人の人達が開拓してつくった日本人移住区というものが存在するのです。

シウダーデルエステという、ブラジルとアルゼンチンの国境の町から西へ53km。

そこに民宿小林という、すき焼きが食べれる宿があるのです。

リオに行く前に本来なら寄ってのんびりしたかったんやけど、どうもリオのカーニバルまで時間がなく切羽詰まっていた僕ら。

今回の旅では縁が無かったと諦めていたけれど、すき焼き食べたさに戻ることにしました。

旅中にすき焼きなんて食えねぇんだよ!

それが理由でもいいじゃねぇか!

そしてパラグアイの少しのんびりとした空気を味わえるのであれば言うことなし。

ということで民宿小林に3日ほどお世話になる事に。

それがもうこの民宿小林の最高のロケーションと、何より小林のお父さんとお母さんの心からのホスピタリティに癒される5日間になりました。

あれ?3日じゃなかったん??

と、思った人細けェ!!!

そんなんじゃパラグアイ来る資格なしっ!!

細かいことなんか、気にするな!!

ここはパラグアイだ!!

2015/02/18

再びパラグアイへ。だったハズなのに!?

あーあーやっちまった。

クールポコ状態やわ。

ネット情報を信じ過ぎるのもよくないわぁホンマに。

信じたせいでコルコバード見た後、夕方ぐらいにリオからパラグアイに行こうと思っとったのに、

チーン。

バスは午前中で終わり。

ということはリオにもう一泊しないといけないことになってしまった。

宿探すんダリ〜。

ということでバスターミナル泊。

リオのバスターミナルやで?

怖ぇーよ。

と思いつつ泊まるしかないのです。

まぁなんとかなる。

時間も出来たおかげでもう一回コパカバーナビーチでのんびり出来るからノープロブレム。


ビビりながら過ごしたバスターミナルは思いのほか人が多く、普通に安全だったわ。

ビビって損した。

2015/02/17

リオのシンボルと言えば。



そう、コルコバードの丘だろう。

リオの町並みが一望できる丘にキリストのどでかい像が建てられているやつ。

キリスト教に対する信仰心はこれっぽっちもないけど、リオと言えばこれ。

これを外してリオに来たとは言えないだろう。

まぁ結構値段は弾む。

ハイシーズンやったから3500円ぐらいしたんかな。

丘に行くための電車とコルコバードの丘の入場料合わせて。

因みに行く場合は、インターネットでチケットを予約した方がいい。

直接買いに行ったら普通にその電車乗るのに3〜4時間待ち。

ふざけろ!となるに違いない。

あと、午前中に行くのがベスト。

午後になると逆光でおじゃん。

しっかり者のおいらは勿論、事前にインターネットでゲットした。

のだが、前日に取った為朝11時40分の電車。

逆光ギリギリ!!

と思ってたら曇りだったので関係なし。

なんやそれ!なのである。

ただ景色は素晴らしい。

コパカバーナビーチやイパネバビーチ、W杯決勝の舞台のマラカナンスタジアムなど全て見える場所にある。

その景色に感動し、キリストの真似して写真撮っちゃえばOK。

それだけでもリオに来たんだと感じられることだろう。

きっとね。

感受性豊かな人に限るが。

僕の感受性は豊かだったみたいだ。

2015/02/16

遂に見た!リオのカーニバル!!



セラロンの階段のゲリラサンバ隊の人混みをなんとか抜け、サンバ会場に着いた。

予定より一時間ほど遅れてしまったが。

そのため最前列ゲットならず、、、泣

まぁそれでも3列目。よしとしよう。

始まるのが夜9時半。

まだまだ時間があるが、この日にかけた人達はもう既に会場入り。

僕らのセクター11は地元民も多いため開始3時間前でも3列目しか取れない状況なのである。

カーニバルは9時半に始まり、朝6時に終わる。

NYのカウントダウンに次ぐ所業ではないか。

ブラジル人達のクレイジーさが伺える。

カーニバル期間は4日間。

そのうち中2日が本選で選りすぐりのサンバ隊が見れるのである。

あぁそうそう、サンバは試合なのです。

中2日の全12チームで優勝を競い合う闘いなのです。

ちゃんと審査員がいて得点を競い合うのです。

まぁサンバ界のチャンピオンズリーグですね。

初日は2軍。最終日は子供のサンバ的な感じになってます。

1日6チームの出場で、各チーム持ち時間80分、1チームあたり約4000人程の人達が700mもある道を踊り歩きます。

というより、パレードみたいな行進ですなありゃ。

ディズニーランドのエレクトリカルパレードみたいな感じですわ簡単に言うと。

大体の人のイメージって、エロ衣装のサンバガールが踊り狂ってる!!ヴェへへ!

みたいなん想像してると思うんですけど、そんな人ら各チームごとに数人。

激しく残念っ!!!!

その他は派手に仮装した人たちがいっぱいいたり、鼓笛隊がいたり、ねぶた祭にたいな鉾が沢山出てきたりみたいな感じです。

まぁ流れってのは規定で決まってるんだそうです。

何がどれかわからんけらども。


けど、始まってからはただただ圧倒される。

自然が繰り出すエネルギーにばっかり心を奪われがちやけど、

人が繰り出すエネルギーにこんなにも凄みを感じたことは初めてやった。

いつかその渦の中にいたいと思った。

途中、おもっきし寝ていたのだけれど。


セラロンの階段でゲリラブロッコにつかまる。




カーニバルが始まるのは夜の9時半。

いい席を取りたいのでそれを見越しても会場には6時ぐらいに行けばいいらしいので、それまでリオ市内観光。

リオの沢山の観光地の中の一つ、セラロンの階段に行った。

セラロンの階段とは、セラロンさんというチリ人のアーティストのおじさんが自宅前の階段をタイルで鮮やかにした所。

それを知って世界中の人がタイルをプレゼントしたらしく、中には阪神タイガースのタイルもあるみたいだ。

まぁ皆さん1度はなんかで目にしたことがあると思うな。

その階段はリオ市内でも治安悪目のラパ地区という場所にある。

リオで治安が悪い、、、そう聞くだけで変な汗が出るのは僕だけでしょうか?

まぁ実際はなんてことはない。

観光地やし、カーニバル中で人も警官も多いから全然余裕。

けど普段は絶対土日は行かない方がいいらしい。

オフィス街も多いらしいけど、土日で人がいなく、辺りの店もほぼ閉まってるから閑散として危ないらしい。

セラロンの階段は良かった。

荒廃したコンクリートジャングルの街中にあって、その鮮やかさは人の心を明るくしてくれるパワーがある。

素敵なアートだと思う。

最近ではスラム街とかの家の壁を鮮やかにしたりしてるアーティストも多いらしいけど、素晴らしいことだと思う。

まぁセラロンの階段は登って上から見たらただの階段になり変わるんやけどね。笑

そこがまた哀らしいよね。

と、満喫したしそろそろカーニバルの席どりの為に会場に向かわないとあかんと階段を降りようと思ったら、既に降りれない状況になってた!

そのクソ狭い階段でゲリラのサンバが始まってた!!

もう隙間なくひしめき合ってる。

やべー。降りれねぇ。

けど、そこしか降りるとこがない!!

大ピンチ!!

ブラジルではカーニバル期間中、町の至る所でブロッコと呼ばれるサンバパーティが開かれている。

本選の観るカーニバルとは違い、こちらはタダでなおかつ参加型のサンバ。

言うなれば、もうブラジル国民こぞってサンバだからって暴れまくってオッケーみたいなノリ。

車が通る道路を封鎖するのもお構いなし。

乗ってたバスがそのおかげで2時間遅れ、も当たり前。

日本なら運転手も乗客もブチギレのところ、ブラジルでは運転手も車内でノリノリといった状況。

これがブラジルか。笑

そんなもんだから参加せずにこの場を乗り切ることは不可能。

となんら心配することはない。

サンバのリズムとその場にいる人のエネルギーは勝手に心を躍らせる。

心だけじゃない身体までも。

ホンマにクソ楽しい!!

これがサンバか!これがカーニバルか!これが祭りか!

それを国民が国が支持してる。

こんなに心から一つになれるものが果たして日本にあるだろうか。

W杯ぐらいか?

あれもほぼにわか。

こいつらににわかなんてのはいない。

その凄さに圧倒された。


最前列狙いやったのに、おかげで会場入りが遅れた。

前から三列目じゃねーかバカやろー!!








2015/02/15

リオのカーニバルチケットに奮闘。

リオ2日目。

14〜17日の間の中二日、つまり15日と16日がカーニバルの本選。

選りすぐりの一軍たちのサンバが観れるのである。

そのため価格奮闘!!

安いチケットは現地のツアー会社やダフ屋がこぞって独占するため、それを高値で買わないといけないのである。

ネット情報でコパカバーナあたりにはツアー会社が沢山あるので一日前でもチケットが買えるとのこと。

ダフ屋の場合は偽チケットを掴まさせられる場合もあるらしい。

そんなんたまらんわ!

ということで、ツアー会社をまわる。

事前情報じゃコパカバーナにはツアー会が沢山あると聞いていた。

が、全然ねぇじゃねぇか!!

歩いても歩いても店が閉まりまくってる。

カーニバル時期は言うたら正月休みなんだと。

そんな中歩いて歩いてツアー会社を何件か見つける。

値段はまちまち。

セクターとよばれる観覧席が1〜13まであって、 場所によっても価格が全然違う。

セクター12と13は話にならん。場所悪すぎ。

セクター9も話にならん。高すぎ。

2万円以内でいい場所で見るならセクター7か5。

僕らは9の隣の11。

そこも地元民が多く盛り上がるのに5や7に比べて安いから穴場らしい。

とゆーか、ツアー会社に言わせたらどこもいいらしい。

なら安いに越したことないから(それでも1万5千円)セクター11でよし。

チケットも無事とれたし一安心なのでリオで有名なコパカバーナビーチへ。

人多すぎ!!笑

皆休みやからこぞって海に出没してやがる。

しかも皆黒いから、はい目立つ〜。

怖い〜。

海はそんなに綺麗じゃないけど何よりビーチが広い。

そこにひしめく人!人!人!

こらシーズンの白浜さんもびっくりやで。

んで、ブラジル人のビールの消費量に唖然。

ブラジルやっぱ豪快ですわ!!

2015/02/14

ブラジルはやはりブラジルや。

パラグアイとブラジルの国境はアホみたいに混む。

バスが30分一歩も動かん。

いつになったらブラジル入れんねん!!

と、そわそわしても大丈夫!絶対入れる!

日本からだと大変なブラジルも簡単にビザをGETしてるので出入国も余裕。

このままあとは20時間ほど乗りっぱなしでリオデジャネイロ!!

その車窓からの景色だけで、ブラジルがブラジルであることがわかる。

一気に国が潤う。

山々の緑が豊かになる。

空の青さが透き通る。

そうやって空気が変わるのが分かる。

楽しみやなブラジル。

そんな気持ちに包まれつつ、ひたすら走る。

と言ってもバスがね。


そして予定の3時間遅れで着いた。

ここがリオデジャネイロかっ!!

やべー、ブラジル人めっちゃ多い。

NYみたいに国際色豊かすぎるし、怖い。

と、多少ビビりながらとりあえず宿までの行き方を聞こうとインフォメーションを捜す。

!!?

インフォメーションにコンドームが置いてる。

リオのカーニバルは謝礼祭として行われだした歴史があるが、なんでもそれに向けての期間は禁欲らしく、祭りの日に爆発させるから女の人達は危ないらしいと聞いたことがあった。

だから町中で普通にコンドームが配られるとも聞いたことがあった。

が。

!!?

ここインフォメーションですよね!?笑

そんな堂々と置いてていいもんなんすか!!?笑

と、この際だから3個ほどもらおうとする。

ならインフォのおばちゃんが、いっぱい持ってけ!!と僕を促す。

そんなん言うならめっちゃ貰うで!!といっぱい貰ったら、

隣のインフォの青年がこう言ってきた。

HAVE FUN!!!!!!!!!

なんじゃそれーーー!!!!



ところで、暑い。

この暑さもやはりブラジルやな。

僕らが泊まる宿はビラ・イザベラという所。

セントロから西に位置する。

カーニバルの一週間ほど前にいきなりの悲報で、宿が取れてない!!

と発覚!!

知り合いに頼んでたのに僕らの分だけ取れてなかったらしい。

なんじゃそれ!!なんで今更やねん!!

と怒ってもしょうがない。

宿を確保しなくては!と取ったのがここ。

リオの宿はどこもカーニバル時期アホみたいな価格設定になると聞いていた。

ネットで調べてみてもドミで80$ぐらいした的な事が書いてあったし、それが嫌な人は宿無しで行って現地で安宿探し、または夜中カーニバルみて朝にはバスで違う町に行くという強行手段なんかも取るパターンがあるらしいけど、

そんなんアホらしい。

ゆっくりしよや。

ビンボーに喰われるべからず。

と、ブッキングドットコムで探したところ普通に格安で取れた宿がここです。

3泊で7200円。

安っ!安すぎくん過ぎて不安なるわ!!!

とカーニバル時期やのに、口コミ評価は高く懐に優しい価格設定の宿に決めました。

まぁそれ以外でも一泊5000円出せば普通にめっちゃあるで。

2年前ぐらいの行った人のブログで現地で探せば安宿あった!!なんて記事あるけど現地で探すなんてやめ時。

クソほど暑いブラジルをこんなバックパック背負って宿探しなんて、死ねってことやで。

リオの宿がたかーーーい!!って嘆くぐらいなら行くなボケ。

祭りは金がかかるもんなんじゃ!!と言っておこう。(すいません、格安で宿が普通に取れたので強気です、、、)

まぁそれでもスラム街にあるんじゃないかとドキドキしていたけど普通にプールもBBQ設備もあり、宿のおっちゃんが優しいイイ宿ですわ。

てかそもそも、カーニバルのチケットがまだ無いんやけどねぇ。

そら現地購入でなんとかしましょ!

2年ぐらい前のブログでも現地購入で大丈夫って書いてたし。安心安心。


もう既にリオの国民はカーニバルに向けて準備を始めている。

衣装や装飾品??を身にまといサンバ雰囲気。

宿に向かうバスからその様子がうかがえる。

皆楽しみにしてたんやろな。

なんせ今日からやもんな。

チケットのいるカーニバル会場以外でも至る所で無料の会場があるらしく、僕らが泊まるビラ・イザベラ(この地元チームは2013年優勝!!)の地域も夜は歩行者天国で祭りを楽しむ人たちで溢れていた。

ブラジルの夜は怖いとビビりながら外に出たんやけど、なんてことは無い。

健全な地元の仮装ダンスパーティー。

いやそもそも踊ってるのは少しで、あとは皆夏祭りみたいに飯食って酒飲んで騒いでみたいな祭り。

ビビって損したわ。











2015/02/13

焼きそばとスキヤキ。

いよいよシウダーデルエステからリオデジャネイロに向かう日が来た。

昼出発なんでまずは腹ごしらえ。

パラグアイは日本人移民が多いのでどこの町にも日本食レストランがある。

今日はニュートーキョーというビッフェスタイルのレストランに行くことにした。

なんせ焼きそばがあるらしい。

焼きそばフリークの私めはそんなの聞いたら、たまらーーーん!!!となってしまうのだ。

しかも食べ放題!!!

まぁ値段はそこそこ。1200円。


パラグアイは暑い!!!

このシウダーデルエステはイタイプーダムのお陰で栄えているとお伝えしたが町のセントロの方はでっかいモールなんかがあるのだ。

しかし、ブラジルとを結ぶ友好の橋付近には日用雑貨などの露店が並ぶ闇市なんかが開かれていて面白いらしい。

時間がなくていってない!!

なんならイタイプー動物園にも行きたかったのに行けなかった!!

だってピューマやジャガーが無料で見れるんやもん!行くしかない!

のに、全てを押しのけて断トツの焼きそば愛を見せる僕です。

焼きそばの右に出る者なし!!

普通にうまい。

唐揚げやチキンカツ、魚のフライにサーモンの巻き寿司なんかもあり、胃も心も満たしてくれやがる!!!

そこにパラグアイでおばちゃんなんかが外でなんかフルーツの実がゴロゴロ入ったジュースみたいなんをよく売ってるのをみかけてたんやけど、それがあったので食べてみた。

見た目はオレンジジュースの中になんでもかんでもフルーツ入れたポンチみたいなやつ。

激ウマ!!!

フルーツうますぎ!!!

南国といったらフルーツ!!!

ってのは間違いないですな。

因みに、屋台てきなとこでフルーツ買うとマンゴー50円、バナナ3本で25円だそう。

安っ!!安すぎくんっ!!

まぁパラグアイ、まだまだ道路にゃ赤土が残るが緑も多く、田舎風景も多く、自然も多い。

滞在日数は断トツに少ないけど、それでもわかるパラグアイの良さ。

またゆっくり来たいなとおもえる。

次はイグアス居住区でスキヤキ食べるんだいっ!!

と、心に決めリオに向かいます。

バスターミナルには同じくリオに向かう日本人が5人いました。

その中の2人が、イグアス居住区に8泊もしていたそうです。

スキヤキ食べたんやって、、、

ちっくしょーーーーーー!!!!(小梅三太夫)


2015/02/12

運が上がってきた!?

パラグアイ側からブラジルに入国する際、必ず立ち寄るのがシウダーデルエステという町。

なんでもブラジルとの共同で作ったダムが有名らしい。

4年前までは、日本でも観光の是非を検討して下さいの危ない町だったらしい。

ここからブラジルに入るともうそこはフォスドイグアスというブラジル側のイグアスの滝の町なのだ。

このシウダーデルエステに着いたとき、土砂降り。

しかも、なんでもこの町は安宿がないらしい、、、。

最低でも20$。

やべーとこにきた。

これならエンカルナシオンで一泊しときゃ良かったと思った。

けど来たもんはしょうがない。

運が良かったのは、この町から月曜と金曜だけリオ行きのバスがあること。

着いた日は木曜日。

ちょうど次の日リオ行きがあるのだ。

じゃないと、サンパウロまで行ってからまたリオ行きのバスに乗り換えないとダメらしい。

ラッキーだ。

なんならラッキーな事に、土砂降りの中バスターミナル近くに一人10$の宿をすぐに見つけられたこと。

Wi-Fiはないが、そんなもんいらない!!

5日ぶりのベッドで快適な夜を過ごせた。

運が上がってきたのかもしれないな。

ははっ!

ブラジルビザ取るの簡単すぎるやろ!

アスンシオンからエンカルナシオンという場所まできた。

エンカルナシオンは南米でブラジルに入る人にとっては有名。

ブラジルビザがあまりにも簡単に取れるということで。

日本じゃブラジルビザを取るのに約一ヶ月かかり、15000円もとられる。

そして何と言っても手続きがめんどくさい。

エンカルナシオン以外の場所でも1ヶ月とはいわないまでも、口座の残高証明なのが必要で手続きがめんどくさい。

けどこのエンカルナシオンでは、写真一枚とクレジットカードさえあれば2時間程度で発行してくれる。

しかも金額は3800円ほど。

アホみたいに簡単。

僕もすんなり、2時間で取れた。

これでブラジルに入る準備は整った。

あとはリオに向かうだけ。

待ってろ!!!

2015/02/11

アスンシオン到着。民宿らぱちょ。

サンタクルスを出て45時間後、やっとの思いでアスンシオンに着いた。

お陰で、アスンシオンの民宿らぱちょに泊まることは出来ないけど、事前に予約をしていたので泊まれなかったお詫びと、宿の下が菜の花という日本食レストランになっているのでせめてこの辛かった旅路のご褒美にと日本食を頂くとこにしようと、らぱちょに向かった。

らぱちょでは、ゆきこさんと娘さんの3歳になったばかりのマナちゃんが迎えてくれた。

この旅路の事と、時間的に泊まれなくなってしまったことを言うと、

休憩だけなら無料でしていっていいよと言ってくれた。

そしてお金は少しもらうけどと100円ばかりの金額で、まさかの湯船につからせてくれた。

日本を出て初めての湯船。

最高だった。

昼過ぎに着き、深夜のエンカルナシオンに向かうバスの時間まで宿を使わせてくれた。

その間に、旦那さんが作った焼肉定食とトンカツ定食を食べたり、ゆきこさんが世界中バイクで旅した話を聞いたり、この宿で数時間やけど出逢った日本人の人達と話したり、ゆきこさんとマナちゃんの髪を切らせてもらったりと充実した時間を過ごせた。

そこはまるで家やった。

素晴らしい宿やった。

本来ならここでゆっくりしたかったんやけど、言ってる通りリオのカーニバルまで時間がない。

残念すぎるけど、また今夜移動しなければならない。

はぁ、辛い。

南米ホンマに辛い。

いつかまた来たいと思う。

南米でついてないよぉ!な話4。

バスの中ではずっと、腸が煮えくり返る思いだった。

そして、本当にアスンシオンまで行くのかどうかという不安との戦いだった。

朝4時過ぎ、その国境の町に着く。

凄く小さな町で、バスターミナルのバス会社すらまだ空いてない。

紙に書いてる、アンデスマール社なんて会社もない。

もちろん、そのバスすらバスターミナルに着てない。

ターミナルにあったボリビア警察に聞いても、紙に書いてある番号に電話しろと言う。

携帯ないから電話してくれと頼んでも、携帯代がかかるから無理だ。と言う。

ボリビア警察死ね!!いや、殺す!!

あーもうこりゃ騙されたわ。

バス会社が空いたらなんとかアスンシオンまでのバスチケットもう一回買うか、サンタクルスまで戻って、あいつらとっちめて金返してもらうか考えよう。

と、僕らは途方にくれて静かで薄暗い町のバスターミナルのベンチで3時間ほど待った。

ホンマにどうなるんやろう。と、まだ続く怒りとこれからの不安が交錯していた。

それがピークだったんだろう。ミカちゃんが泣き出した。

まだ2人だから良かったけど、これ女の子1人やったらマジできついと思う。

怒ってばっかで気付いてあげられなくてごめんね。

そんな時に、いきなり声をかけてくるオバちゃんがいた。

チケット見せて的なことを言ってる。

見せる。

ここで待っててと言う。

涙!!!!!

まさかの救世主現る!!!?

と、少し安心した。

そのオバちゃんは何人かに声をかけてる。

その何人かでタクシーに乗せられた。

そしてそのまま何処かへ連れて行かれる。

普通ならこれも怖い。

わけわからずタクシーに乗せられるんやから。

着いたのはボリビアとアルゼンチンのイミグレだった。

タクシー代を払わされる。なんでやねん!!

これからアルゼンチンに入国して、そっちのtartagalという町の方からフォルモッサまで行くという。

ここでわかったこと。

アスンシオンまでは行かない。けど、フォルモッサまでは行く。

フォルモッサからアスンシオンは近い。

フォルモッサまで行ってくれるなら良かったとどんなに安堵したことか。

騙されているのには変わりないが、道が開けただけで人は前を向けるものなのだ。

けど、その出発のバスが夕方5時発。

現在朝の8時。

しばいたろか。

こんななんもないとこで何せぇっていうねん。

アスンシオンにダイレクトに行ってるクソオンボロバスはあと数時間でアスンシオン着くやんけ!

なのに俺らはまだボリビアとアルゼンチンの国境って!しかもあと9時間も待て言うんかい!!?

待て。

はい。

時間がないからホンマに最悪な事になったと嘆きながらバスターミナルで待つ。

するとバス会社の奴がチケット渡せと言ってくるのでチケットを渡すと、2枚綴りのチケットになって帰ってきた。

1枚は12時発のチケット。

もう1枚は7時半発のチケット。

何故2枚???笑)

しかも1枚目の到着場所と2枚目の出発場所が違う。

何故!?不安)

聞いてもスペイン語ホンマに分からん、、、

てかそもそも5時発言うてたやんけ!

また乗り換えなあかんねやったら5時発でダイレクトにフォルモッサに行くバスに乗せろって言っても、5時のバスは無いと言う。

もうホンマに意味わからん。

けど、同じ運命をたどる仲間が俺らの他に4人いたのでまだ心強かった。しかもスペイン語話せる人らやし。

まぁ皆騙されたんやろけど!プププ。

その人らと共に12時のバスに乗る。

3時間後、わけわからんT字路で降ろされる。

一人じゃ絶対わからん。

そこは、一軒の小屋とアルゼンチンの検問所があるだけの砂嵐が舞う場所。

そんなわけわからん場所であと4時間以上待たなくてはならない。

いや、そもそもこんなとこで4時間待ってバスくるんですか!?泣

ってところ。

けど、信じて待つしか無いのだ。

心強い騙された同士の仲間がいるから待つしか無いのだ。

結果、砂にまみれながら5時間程たって日が沈んだ頃バスが来た。

ホンマにこんなとこバス来るんや!泣

良かった!ホンマに良かった!泣

と、泣きそうだった。


フォルモッサに着いたのは次の日の朝だった。

そしてそこからアスンシオンへ。

アスンシオンまで6人皆一緒だった。

アスンシオンにある民宿らぱちょに着いたのはボリビアをでて45時間後だった。

きっと最長記録だと思う。

2015/02/10

心が荒んだ時に、ほんの優しさに心が潤った話。

「南米でついてないよぉ!な話4」の途中の砂嵐が巻き起こるT字路でのお話。

その場所には僕ら6人の他にも、途中でバスを降りてくる人が何人かいた。

タルタガルからブエノスアイレスやメンドーサに行く途中にあるT字路で、フォルモッサ側の東にに行く場合はそこで降ろされるのが普通みたいだ。

その中に、タルタガルのバスターミナルでみた少年少女たちのグループがいた。

その子達はタルタガルのバスターミナルで手作りのミサンガを買ってくれと言ってきたので覚えていた。

勿論、いらないと断った。ぶっきらぼうに。

まぁタルタガルに住んでこうやって観光客にミサンガ売っておこずかい稼ぎしている、よくいる子達なんだろうと思っていた。

そしたらその子達が、同じT字路で降りてくるではないか。

しかも少し大きめの荷物も持っている。

皆で何処かへ向かっているらしい。

ミサンガ売りながら旅してんのかなぁとも思った。

そしたら話しかけてくれた。勿論スペイン語。

わかんねぇ!笑

けど一人だけ英語が少し話せる子がいて、どこ出身なの?と聞いてくれてることがわかった。

日本だよと答える。

これからどこに行くの?と聞かれる。

アスンシオンだよと答える。

私達もアスンシオンに行くから一緒だねと。

どうやら、アスンシオンにサッカーを見に行くらしい。

よく見るとパラグアイのそのチームのユニフォームを着てる子、中にはそのチームのロゴをタトゥーで入れてる子もいる。

どうやら熱狂的なファンらしい。

横断幕まで自作で作っている。

彼等はベネズエラの子達で大学の休みを利用して、ベネズエラからコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンときてこれからパラグアイに皆でサッカーを応援しに行く途中らしい。

中々すごい旅だ。

そんな中、一人のカルラという女の子がまた話しかけてくれた。

彼女はスペイン語しか話せないのに、英語でこう話しかけてくれた。

ハングリー??

勿論お腹は空いていた。

バスで飯が出ないのに出ると騙されていた僕らはお菓子しか持っていなくて、それでサンタクルスからの時間お腹を紛らわせていたからだ。

彼等の旅を知ったアルゼンチンの検問所の人達が彼等に余ったご飯を分けてあげていたのだけれど、それをお腹が空いてるなら食べない??とカルラが聞いてくれたのだ。

しかも英語で。

わざわざ英語が出来る子に、お腹が空いたってなんて言うの?って教えてもらったのだろう、片言でハングリー?と聞いてくれたのだ。

僕らは、彼等のミサンガをぶっきらぼうにいらないと断っていた。

それなのに、それなのにその優しさが嬉しかった。

ありがたく頂いた。

ミカちゃんはその優しさが嬉しくて泣いていた。

泣かないでと言ってくれる。

けど、ミカちゃんのその泣く気持ちはわかる。

本当に嬉しかった。

食べ終わった後、カルラはスペイン語でジェスチャーを加えながら、お腹いっぱいになった?と聞いてくれた。

そして一人の男の子は僕等がいらないと断った手作りのミサンガをミカちゃんにプレゼントしてくれた。

もう一人の男の子はベネズエラのお金をプレゼントしてくれた。

ベネズエラは治安の悪い国で知られている。

外人と分かると今やすぐ銃で襲われる国。

ベネズエラ人がベネズエラには来るな!という程に。

自分の国に来るな!なんてホントは言いたくないだろうに。

けど僕等が旅に出て出会うベネズエラ人はホントに心の優しい人達ばかりだ。

こんなどうしようもない状態で、あまりにも心が荒んでいた所に、彼等の優しさは僕等の心を潤わすのに充分過ぎるほどだった。

その一つの優しさだけで、最悪なルートが最高のルートに変わったりする。

心が蘇る。

旅は結局の所、人との出逢いとよく言われていたりする。

僕は捻くれているからそんな事ないし!って思ってるし、自分から出逢いを求めたりしないけど、そういう自然に起こった出逢いに心から感謝する。

旅は出逢い。

まんざらでもないと思うようになった。

もう2度と会うことはないだろうけど、一生忘れることはない。

そんな出逢いも重ねられたらいいな。

と思う。

ありがとう。

南米でついてないよぉ!な話3。

何も食べる気力を失ったけど、腹は減る。

ので、スーパーで買った消して安くないポテチで腹を紛らわす。

案外紛れる。

アスンシオンに向かう時間がきたのでバス会社に向かう。

バスが出発する時間になる。

すると、バス会社の奴がいきなり最初に買ったアスンシオン行きのバスのチケットとは別のチケットを渡してきた。

そのチケットにはyacuibaとわけわからん地名が書かれている。

俺:なんだこれ?と聞く。

すると、これでまずアルゼンチンの国境まで行けと言う。

俺:つまり、バスを乗り換えろということか??

バス会社のクソ野郎(以下K):そうだ。

俺:いやいや話が違う。お前らはダイレクトにフォルモッサ経由でアスンシオンに行くと言った。

K:フォルモッサには行く。だからまずここまでこのバスで行け。

俺:ダイレクトに行かないなら金返せ。ダイレクトでアスンシオンに行くバスに乗り換える。

K:ダイレクトに行くバスはセミカマ(4列シートのカマよりグレードの下がるバス)だから、こっちで行った方がいい。(と、そのセミカマのバスを見せてくる。)

俺:じゃあお前らのバスはどーやねん!!(と、見に行く。)

俺:セミカマのボロバスやんけ!!!
(胸ぐらつかんで事務所まで連れてく。)

俺:お前らよくも騙したな!!殺す!!
(ペン投げて、壁や机蹴って暴れる。)

俺:金返せ!!他の会社で行く!!

と、他の会社を当たってみても他の会社のバスはもう出発してしまって無い、、、くそっ!

金をなんとか返してもらって明日行く手もある。

時間があったら絶対そうしてた。

俺はぼったくられるのはいいが、騙してくる奴は許せん。その精神が。

久しぶりに殺意が芽生えた。本気で。

けど、今日サンタクルスを出ないとリオまで時間がない。

こうなってしまったら、運を天に任すしかない。

俺:アスンシオンまで絶対行くんやろうな??

K:行く。大丈夫だ。信用しろ。(できるかボケ!!!)

俺:もうええわ。(お前らの会社潰してやる。)

と、バスに乗り込む。

もちろん、飯が付いてると言ったけど付いてるわけねぇよ。

久しぶりに騙されたわ。

クソボリビア人め!!

滅べこんな国!!!

ウユニ塩湖なかったら誰も来んわ!!

死ね!!クソボリビア人め!!

あーーー!!!腹立つ!!!


僕らは、これのせいで大変な目に遭うことになるのである。



追伸。
これからサンタクルス〜アスンシオン間をバスで行く場合は、ステルツーリズモでボロバスでもダイレクトに行くバスに乗るべし。カマバスはないので騙されないように。それと、そのクソ会社の名前は忘れたけど、サンタクルスからアスンシオンへ行くバス会社が集まってる場所の角にある会社。そこは注意!!その会社のスタンプにはアンデスマールと書いてる。クソボリビア人に騙されるべからず!!!

南米でついてないよぉ!な話2。

サンタクルスに着いた。

まずはパラグアイのアスンシオンに向かうバスのチケットを手配することにしよう。

その前にこの区間は南米でも要注意の区間であることを知っていてもらおう。

バスはボロボロ。

悪路。

途中、バスの故障の為到着予定20時間が普通に24時間から翌々日なんてことがザラらしい。

24時間で着けたら運がいい方らしいのだ。

と、アスンシオンの民宿らぱちょのゆきこさんにメールで教えてもらっていた。

ネットでもここは運がモノをいうとどこにでも書いている。

そして教えてもらっていた、ステルツーリズモというバス会社に行ったのだが、、、

ホンマに南米のバスとは思えないほどのオンボロバスなのである。

南米バスの中では下の下だろう。

そんなバスで無事つけるわけないやん!!と思った僕らはカマバス(3列でめっちゃシート倒れるすげぇバス)ポルファボール!!カマバスポルファボール!!とお願いすると、どっかの会社のおっちゃんがこっちのバスはカマバスやぞー!と言ってきた。

話を聞くと、値段もルートも代わるけどアスンシオンまで行くカマバスがあるという。

本来なら24時間でサンタクルスからアスンシオンやけど、このバスはアルゼンチン側に入りフォルモッサという町を経由してアスンシオンに行くらしい。

そのバスを値段交渉の末クソオンボロバスと同じぐらいの値段で行けることになったので購入決定!!

こっちはアスンシオンて言ってるのにフォルモッサをしきりにアピールしてくるから怪しさはあるけど、バス会社は信用で成り立ってるから大丈夫やろう。

そこからサンタクルスの町へ。

とにかく暑い。

南米は今夏。

クスコからラパスまでは標高が4000m近いから寒かったけど、ここはもう標高400mまで下がってきたから兎に角暑い!!

サンタクルスは人口第2の都市。

戦後沖縄からの移住者が多く移り住んだ町だそうだ。

そのサンタクルスにはボリビアでは知らない人はいないというアイス屋さんがあったり、ソーキそばが食えるスーパーオキナワがあったりする。

まだまだ整ってない部分と発展してきている部分とが融合した町。

それでもふた昔前の趣があるが、言ってしまえば何もない。

でもそこにラパスで行った日本食レストランけんちゃんの本店があるので、カツ丼食おうと行ってみた。

閉まってる、、、

なにぃ!?


定休日は水曜日なはず。今日は日曜日。

そこに一枚の貼り紙が。

スペイン語なんでわからん。けど、PM4〜PM11って書いてある事だけわかる。

ふむふむそうか、今日は4時開店なのか。

只今、1時を回ったところです。

カツ丼の為なら3時間ぐらい待ったるわ!と、けんちゃんの前の広場で3時間待ってみる。

4時過ぎ。

空かない、、、まだ空かない!!!

ので、貼り紙に書いてある単語をもっている旅の指差し会話帳のスペイン語の本で見てみると、、、

ガチョーン!!!

ただのバイト募集やないかい!!!怒)

それでも一向に開く気配を見せないけんちゃん。

なんでやねん!ボケ!!

何のために3時間も待ったおもてんねん!!ボケ〜!!!

と、怒ってみてもしょうがないのでスーパーオキナワのソーキそばでも食べようとクソ暑い中歩いて行ってみると、、、

食堂終わっとるやないかー!!!!ボケ〜!!!!

気力を無くしたので、もうなにもいらん。




2015/02/09

南米でついてないよぉ!な話1。

ラパスで泊まった宿が朝食付きだと喜んでいたら、パン一個に珈琲とわけわからんら味のジュース。

たまらんほど期待を裏切ってきた。

今日はサンタクルスまで移動しないといけない。

そしてそのままパラグアイのアスンシオンに向かう。

そう、リオのカーニバルまで時間がないのだ。

かなり焦っている。

そう、焦るのはよくない。誰もが知ってることだと思う。

人は焦った時に大きなミスをおかす。

このミスからアスンシオンに着くまでとてつもなくツイてないことになっていくのである。

まずバスのチケットを買いに行こうとラパスのターミナルに向かった。

なんでもサンタクルスまで16時間ぐらいかかるらしい。

16時間!?とここで驚いてしまった。

現在昼の2時半。そして、サンタクルスからアスンシオンのバスが出るのが夜の8時。

ここで、16時間!?と驚いてしまったのはラパスを3時に出たとして16時間後は次の日の夜の7時やん!!!

バス8時やからギリギリやん!!!

南米のバスはどれも到着時刻が遅れて当たり前やけど、ここにいてもしゃーない!!3時のバスで行くしかない!!

と、判断を誤ったのである。

おわかりだろうか??

昼の3時に出て16時間後は次の日の朝7時になるのだ。

夜8時なんて余裕のよっちゃんで着くのに僕らは完全なる時間の凡ミスをしてしまった。

それに気付いたのはバスに乗ってから。

なんとも、情けない。

それのせいで、ラパスで行くはずだった美味しいカレー屋にもいけず、バス3時で予約したのに3時半にされてて、「3時半やったら間に合わへんねん!!3時って言ったやろ!3時のバスに乗せろ!!」と、ブチ切れる羽目になったりとラパス出発はなんとも最悪だった。

はぁ。

16時間。なんとも凡ミス。

まぁ仕方ない。サンタクルスの町を見てまわれるし、サンタクルスにはラパスで行った日本食レストランのケンちゃん本店があるからそこでもガッツリ日本食食べよう。

と前向きに考えてみることにしよう。

けど、もう既に負の連鎖にハマってしまっていたのである。

2015/02/08

ボリビア入国。

プーノからラパスへ。

ボリビア入国。

久しぶりの陸路国境越え。

この道のりがなんとも面白い。

チチカカ湖の湖岸を走り、コパカバーナまでいく。

そこからバスを乗り換え、途中ボートにのり湖を渡る。

その光景がなんともシュール。

まぁそれだけなんだが。

ラパスの入り口では、チェゲバラのわけわからん像が出迎えてくれる。

ボリビアの革命に参加して死んだ英雄なんだから、もうちっとマシな造り方せい!!と少し苛立ちを覚えるほどの出来栄えの像だ。

ラパスも3800mとだいぶ高地。

もうええってアンデス山脈!!と言いたくなる。

しかもラパスの安宿はほとんどが盗難宿らしい。

まぁ掃除といって部屋に入ってきて金品をかっさらうのだ。

鍵をしてても無駄らしい。

安宿とまって大金盗まれたんじゃ、ただの阿呆やん!

と、僕らは400円ほどプラスしてだいじょぶな宿にしたから安心安心。

しかもラパスには有名な日本食レストランけんちゃんがあると聞き及んでいる。

最近心が荒んでいる。

そんな時は日本食だ!!!

高くても日本食だ!!!

思い切って、ヒレとんかつ定食だ!!!

まじで、美味いよ〜!!!

けんちゃん最強〜!!!!泣

2015/02/06

みかちゃん、ウロス島で誕生日を迎える。

2月6日。

一緒に旅をしているミカちゃんが29歳の誕生日を迎えた。

誕生日おめでとう!!!

まぁ言い訳をさせてもらうならこんなペルーにいるから何もできないのである。

それでもなんかできるやろーと言われるかもしれないが、もともとサプライズの類が苦手な僕としては全くもって思いつかないのである。

けど、心から思っている。

生まれてきてくれて出会ってくれてありがとう!!と。

その気持ちに今日は+〆としてチチカカ湖に浮かぶウロス島の人達にも祝ってもらおうではないか。

ウロス島はチチカカ湖に生えるトドラと呼ばれる植物を湖の上に浮かべ、同じ植物で家を造り生活してる人らが住んでいるのである。

生活の基準は湖にあるもので済ます。

魚を釣ったり、鳥をハンティングしたりもする。

湖の上に浮かべられたトドラでできた島はなんともずしっと重たい。

下の方は水によりどんどん腐食していくからまた新しいトドラを重ね合わせて島を浮かべてるのだそう。

なんともこの現代で風変わりな生活を送っているものだ。

見方を変えれば最強のエコロジーだ!とミカちゃんはいう。

確かにそうやな。笑

その民族の人達の衣装をミカちゃんは来させてもらい、御満悦。

良く似合ってて本当に可愛いのだ。

気に入った飾りを誕生日プレゼントということにもできたし、ウロス島なかなかやる。

普通に楽しい。

まぁこんな島で誕生日を過ごしたミカちゃんもミカちゃんで世間から見れば一見風変わりな女の子だろう。

世界で一人だけだったかもしれないし。

いい思い出になってくれてたらいいのだが、、、

この晩、腹一杯ピザを食べたせいなのか?久々にビールを飲んだせいなのか?

あたしが、夜中に信じられないぐらいの頭痛と3回も吐くという事態に襲われたおかげでミカちゃんの誕生日の締めくくりは最悪なものとなったことは間違いないだろう。

いやまぁ逆に忘れられない誕生日になったと思ってもらいたいものではあるが、、、

ちゃうか!!!笑


今年も素敵な一年になるよう頑張りますので宜しくです。

2015/02/05

ペルー人よ、調子に乗るな!!

クスコからプーノまできた。

なんでもプーノでは昨年からユネスコの無形文化遺産になった祭りがあるらしい。

そのためバス代と宿代が急騰するらしいと聞いていたのだが、案外すんなりと行けた。

確かに祭りがあるのは本当やけど、少し日にちがずれてしまっていた。

ただ、これも正直大した祭りではなさそうだ。

(YouTubeで確認したところ。)

というか、本番までそこら中で練習してるんやけど、夜中の12時を越えてもその楽器の音や花火がずっと鳴り響いてうるさい!!!

朝なんて5時ごろから練習始めやがるし、寝てるこっちとしては迷惑極まりない!!!

無形文化遺産に認定されたからって調子にのりやがって!!!

やかましいんじゃペルー人!!!

ペルーまじ嫌いだわぁ。

2015/02/04

クスコは沈没に値しない。

クスコの標高は高い。

3400mもある。

体調がよくなったとはいえ、本当にこの町の階段は堪える。

しかも陽射しがでてたらあったかいが、夜になるにつれ冷える。

これも堪える。

単純に言おう、嫌いな町だな。

けど、町並みは綺麗やし、夜景も綺麗。

飯はメルカドで200円ぐらいで腹いっぱい食える。しかもうまい。

そして庶民の生活もうかがえる。

まぁいいとこはそんなとこぐらいか。

南米のバックパッカーの沈没地らしいが、はっきり言って宿と飯が安いだけ。

寒いし、ホットシャワーもろくにでないんだから僕としては長居に値する町ではない。


2015/02/03

男なら二度同じ過ちは犯すべからず。

マチュピチュからクスコへ帰る。

行きのスタンドバイミー的な道をまた3時間程歩いてバンの停留所まで帰る。

体調も良くなってきたので楽勝、楽勝!


そういえば、一日先にメキシコから約一ヶ月一緒だったゆうきくんがラパスからパタゴニアに行くためにクスコに帰っていた。

本来ならパタゴニア終わるまでは一緒のはずやったけど、リマでチリへ南下するはずのバスが一週間先までなかったので急遽ルート変更を余儀無くされた為に、ルートが大幅に変わってしまったのである。

やはりパタゴニアを見て帰りたいゆうき君はラパスからパタゴニアのエルカラファテまで飛ぶ決意をしたのである。

まぁあたしの入院のせいでマチュピチュ行きを遅らせてくれて、そのせいでマチュピチュの滞在が短くなってしまったのだから頭があがらない。すまないね。

今日の帰りのバンがきっちりとクスコに着けば、最後ゆうき君を見送りたい。

その思いで帰りのバンに乗り込む。

しっかりと、酔い止めを飲んでだ。

行きの二の舞は踏むまいと心に誓っていたのだ。

まぁ当然男なら、同じドジは踏むはずがないけれど。

でも、これが何故か帰りは快適。

ほぼ爆睡で帰った。

やっぱ行きの運転手が無茶な運転してたからや。

一切休憩しないし。

次あったら殺してやると心に誓った帰りだった。

帰りはそれでもちゃんと着いてくれたおかげで、クスコを出るギリギリのゆうき君も見送れたしよかったし、吐かなくてよかったしというなんともめでたい日であった。

2015/02/02

秘境マチュピチュ。

マチュピチュに行きました。

想像していたより秘境です。

そもそも、クスコからマチュピチュの麓まで6時間ぐらいミニバンで移動する道が既に秘境です。

道の整備ぐらいしろ。

と言いたくなるぐらい、凸凹かつクネクネ。なんなら一歩間違えれば谷底へ落下。

僕はその道中2回吐きました。

ただでさえ体調悪いのに、また吐きました。

もう嫌です。

楽しむ心なんて芽生えないほど、既に満身創痍です。

ここ最近グチしかでません。

そんな思いでやっとこさ麓についたんやけど、ここから約3時間ほど山を歩いてマチュピチュ村へと向かいます。

どんなとこにあんねん!!と呪いたくなります。

小雨の降る中、ストンドバイミー的な道をひたすら歩きます。

久し振りの大自然の中のトレッキング。

なんか、屋久島を思い出させてくれる風景。

なぜ、歩いているのかはよくわからんが。

歩くしかないんやもん、それが秘境マチュピチュです。

一筋縄ではいかない。そらここ見つけるのも苦労したやろうな。

まぁ金さえあれば、こんな道歩かなくても電車でひとっ飛びの世の中にもうなってますがね。

貧乏人は歩けいうことですわ。

マチュピチュ村は、まるで温泉街のよう。

関西人なら有馬温泉を想像したら分かり易いかな、まるでそんな感じ。

って、ほんまに温泉街らしいからびっくり。

この日は一泊し、明日の朝いよいよマチュピチュへ。

朝から雨、雨、雨。

マチュピチュはほぼ雨らしい。

マチュピチュを見下ろせる絶景の山、ワイナピチュにも登る。

言われてるほどしんどくはない。

ただ、霧、霧、霧。

マチュピチュが全然見えん。

それでも待つ。ひたすら待つ。

すると霧がわずかに晴れる。

その瞬間、眼下にそびえるマチュピチュが姿を現した。

ほんの一瞬、霧の合間から見えたマチュピチュは幻想的だった。

秘境の名に相応しいほどに。

ワイナピチュを下山してみるも、マチュピチュにはまだ雨が降り続いている。

ただこの高地にスペイン人からの侵略を逃れる為にこの壮大な集落を作り、生活したと考えると、その痕跡が残っていてもにわかに信じられるものではないのだけれど。

それでもここに存在する。

それがマチュピチュの凄さなのだろう。


あまりにも有名になったマチュピチュやけど、その見事なまでの存在感と、そこに辿り着くまでの道程は正に秘境に相応しい。