2014/12/26

地球が俺の先生だったみたい。

えー、Blogというやつはそりゃもうめんどくさいの一言に限る。

けどFacebookの投稿をやめた以上これをやめるわけにはいかぬ。そう決めた。

だってこれ、見てくれる人しか見てくれんでしょ?

興味を持ってくれてる人がわざわざ忙しい一日のうちの時間を僕にさいてくれてる。

そう、感じるだけで幸せなんじゃないか。

だからお気付きかもしれないが赤裸々に自分のことを書くことにした。

あっこよかったよー!あれおいしかったよー!なんて旅の情報なんかガイドブックかインターネットで検索したら一秒で出るわい!

そんな時代じゃ。くるしゅうない。


あんね、最近は悩みから思考の渦。

今はね、一皮剥けたってやつでしょーな、色んなことをまた普段通りポジティブに感じて考えられるようになった。

そしてね、気付いちゃった。

俺ってなんてすげぇことしてんだって。

いやいや最近のほんと最近までね、世界一周なんてつまんねぇ。とさへずっと思って悩んでたからね。

悩んだ結果そこから今も色んなことがシンプルになってきてんだなぁ。

今日わかったことはさ、自分の好きと嫌い。それがはっきりとわかるようになってきた。

俺はずっとこの資本主義の文明の中で生きてきて、便利なもんで溢れてて何不自由ないのに何故か毎日不自由に感じてて、窮屈だったんだ。自由になりたかったんだ。

どう自由になりたかったんだ??って聞いてみたところ、「心の解放‼︎‼︎‼︎」って応えるわけよ。精神維新じゃ。

あっ!待って待って!宗教的思考はないから!笑

ただ自由思想やジャパニーズの大和魂は持ってる。

そして自然を愛すし、平和や愛を信じる。

ははっ!完全ヒッピー思考やん!と思ったやろ?

日本じゃこんなん思ってたら、「過激派‼︎‼︎‼︎」なんて言われんのかな?

それとも歳考えろよ‼︎‼︎‼︎ってな具合か。

けどさ俺はこの思想が好きだよ。

そしてその中での方が生きやすい。

かといって世界に出て見るヒッピー達はけして素敵とは言えない。

その思想を身内ノリで楽しんでるだけにしか思えない。

エネルギーは凄いのになぁなんか残念やなぁって思うし、俺もそんなんにはなりたくないって心から思ってた。

思想はそうなのに、そうは生きたくない。

そんなとき一生に一度は世界一ののカウントダウンを味わうためにNYに来た。

そしてここで僕に結論がでた。

最初は小さい頃から大人の頃まで憧れだったNY。

初めてのタイムズスクエア。アメリカのグレーな空気感。ワクワクした。

けど、数日で僕の心は苦しみだした。

最初の数日は資本主義の日本という国で育てられた為のワクワク感だったんだと思う。

数日後、嫌いになった。NYが。

特に事件があったわけじゃない。ただ大量生産大量消費。物や人で溢れたこの世界が自然と嫌いになった。

よく見たら欲しいものなんて一つもねぇじゃねぇか。

世界が捻じ曲がってやがるじゃねぇか。

俺の生きる世界はこんなとこじゃねぇ。けどヒッピーみたいな生活はしたくねぇ。

なんか自分に合ったその中間は無いのかと探して見たらさ、いやーなんでも今の世界はあるわけですよ。

人はさ、不安なものに名前を付けたがる。そして社会と属してると安心してしまう。

その安心感を得た僕は彼女に、こんな生き方してる人達いるらしいよ?俺もきっとそこなんだわ。と言ってみる。

すると言われた。

そもそも何かに属する必要あるの??と。

、、、、、

ひょえー。なんてこった。

稲妻っちゅうやつが走りました。


僕自身の世界もこの生きてる世界ももっと単純じゃないか。

好きか嫌いでいいじゃないか。

楽しいか楽しくないかでいいじゃないか。

そこで嫌いなものや楽しくないもので悩む必要なんてないじゃないか。

この嫌いだと思ったNYでも楽しいと思えることはいっぱいあるじゃないか。

そう心から思った瞬間にもう一枚皮が剥けましたわ。

最近ね剥けまくり。肌荒れるわ。

でもね、でもね、世界なんか出る前からそんなこと知ってたんやで。

自分探しの旅なんて言われて世の中最近ざわついてますけど、自分探しなんて旅に出たってできへん、答えは自分の中にしかないんやから!なんて思ってましたんやで。

旅に出たって世界観なんて変わらん!なんて思ってましたんやで。

けどね、びっくらこきました。

正確に言うと。
旅に出ると、体験を通し頭ではなく心で知れる。自分の心を探し見つめ返せる。そして、新しい世界を知るといったところでしょうか。

日本を離れて1年半。

僕はようやく素直に求めてた自分になりつつあります。

まだまだだと思いますが。

そして、世界一周なんてつまんねぇ!なんてとんでもない。

僕はなんてことをしてるんだと思えるようになりました。

世界を相手に自分を知ろうと闘ってるんだと。

この地球という星が僕の学び舎なんだと。

どうせやるなら、この星を楽しみながらやってやろうじゃないの。

それが終わったら次は宇宙でも相手にしてやるかなっ!無重力に漂いながら。



今のワクワク。

大人になると何故こんなにも世界がつまらなくなるんだろうか。

小さい頃想像してた世界はこんな世界ではなかったはずなのに。

大人になって想像してた世界に飛び出したのにわくわくしないなんて。

色んなものを削ぎ落として自分に向き合えば向き合うほど窮屈になる。

誰だよ、削ぎ落とせば自由になれるなんて言ったの。

嘘つくなよ。

生きる為に必要なことがどんどん押し寄せてくるじゃねぇかよ。

あー日本に帰ったらやりたい事がいっぱいあるよ。

あるのに今は何もできないなんて、生殺しってやつやな。

勉強、勉強、勉強中。

確かにそう。

今この状況だからこう思てるわけ。

今この状況だからやりたい事が沢山出てくるわけ。

考えることが山ほどあるわけ。

ただもどかしいんじゃい!!

そのパワーを今に向けれない。

ただ楽しみたいのに、ただ楽しむことすらできない。

楽しみ方を忘れたのか??

もっと素直に楽しめる人間だったはずやぞ。

思い出せ。思い出せ。

いやでもそうだ。

削ぎ落として行く中で、興味のあるものと無いものが明確になり出したんだ。

無い物に時間とお金を使うのがもったいないと思うようになったんだ。

あとは何をしたいのか、何に情熱を向けるのか何に生き甲斐を見出すのか。

そこを想像することが今の俺のワクワクなんだな、これが。

2014/12/22

初めてのNY。

いやー人生で1度は来たい都市NY。

ビビりながら降り立つ。

空港で一泊。

ここから3週間のNY生活が始まる。

なんとも贅沢。

その内2週間はミカちゃんの友達のアヤちゃんと彼氏のヨンジュンの家に泊まらせてもらえることになるのでありがたい限りです。

まぁといってもそんなたいしたことはしてないんやけどね。

ハンバーガー食いに行ったり、アイススケートしたり、ブルックリンで買い物したり、自然史博物館で萌えに萌えたり嫌いな美術館行ったりと普通の生活やね。

ブロードウェイでミュージカルも、ワールドトレードセンターも、自由の女神もトップオブザロックも登ってない。

観光客が絶対することを絶対的にしてないねぇ。

寒いからする気起きん。

夏にもっかい帰ってくるからえっかーって感じでそんなのスルー。

けどラーメン食いに行ったり牛角で焼肉食ったりと、なかなか旅中にできることじゃない贅沢なんかしちゃったりねぇ。

まぁなんとものんびり過ごしましたわ。

たいしておもろないなこのブログ。

鼻くそや。

終わらそ。


あっ、でもやっぱアメリカのハンバーガーのクオリティはバヤイねっ!

間違いなく世界一!!


それだけ言わせてもらって締めたいと思います。

2014/12/13

歴史を知る。

世界は戦いの歴史です。

平和という時代はその中でほんの一部。

いや本当の意味での平和はまだまだ先になりそうですね。

そもそも来ないかもしれない、全員が望まなければ。

今日はドイツ、ベルリンにいました。

2回目のベルリン。

今回はちゃんとベルリンの歴史を見ようと思いました。

まぁ彼女が知りたいというものですから、はい。

僕は歴史には興味ありありです。

なんせ歴史は人の財産です。

歴史を無視して今を生きることは不可能ですから。

けど、戦争系の博物館が大嫌いです。

歴史を知りたくないわけではありません。

心が苦しくなるんです。

ありがたいことに戦争を体験していません。

他国の戦争はTVで見ていても、それは別次元の話としてしか頭は理解していません。

それでも戦争の悲惨さは嫌という程叩き込まれてはいます。

そういう教育です。

正直あの頃はつまんないやつです。

だけど戦争はしてはいけない!という事は知っている。

だから心が苦しくなるぐらいなら行かない方がいい。

それが僕が戦争系の博物館が嫌いな理由です。

けど今の状況で行って良かったと思いました。

今回はナチスとベルリンの壁について。

どちらも本当に悲惨な歴史です。

全部を理解したわけでは甚だありません。

むしろまだ何も知らないレベルです。

けど、行くだけで感じる空気がある。


僕が言いたいのは、

戦争で国のために犠牲者として命を奪う権利も奪われる権利もやっぱり全然ないということです。

とくにナチスもベルリンの壁にまつわる歴史は酷い。

死ぬ意味のない命がナチとソ連によって奪われている。

奪われているどころじゃない。

命は人が唯一手にしている尊厳だ。

それを同じ人間が奪うことはあってはならない。

世界ってなんなん?

国ってなんなん?

平和ってなんなん?

愛ってなんなん??

答えなんて簡単に出せないけど、きっと誰もが幸せを望んでるはず。

そして僕はその幸せが実は、国籍も、人種も何も関係なく全ての人類が本当は知ってるものだと思っている。

それをなすためにはまず、歴史を知ることから始めないと。

2014/12/10

友からのメール。

悩んでいたことをブログで打ち明けると、友人から僕の気持ちがわかると一通のメールをもらいました。

その友人は、精神安定剤をもらわないといけないほどに、今年初めに悩み苦しみ耐えていたことをメールで教えてくれました。

彼も僕と同じようになったと言いました。

世界の全てが無意味に思え、生きてることにさへその理由を感じなくなったと。

そうなった結果的要因は僕とは違うかもしれません。

けど結局のところは一緒だと思います。

自分の心を愛して、慈しんであげることができなくなったんだと思います。

その友達は今年初め、独立ということを本気で考えたみたいです。

それは人生の大きな決断です。

その時にきっと自分の過去、現在、未来、今までどう生きて、今どう生きて、これからどう生きて行くか。

何を求めて、何を捨てて、何が大事で、何を守れて、何が出来て、何をしたいか。

そういうところから様々な悩みが駆け抜けたんでしょう。

その瞬間に心に蓋が閉まったんだと思います。

心が耐えれなくなり、感じることを辞めたんだと思います。

僕も今だから分かります。

本当に辛かったんだろうな、苦しかったんやろうな。

それでも自分の心だから自分一人で闘わなきゃいけない。

彼はそう思い、負けずに闘ったみたいです。

そんな友達を誇りに思います。

そして友は、今もまだ乗り越えてるか乗り越えてないか分からない状態なのに、僕が同じ様に苦しんでるからと精一杯のエールをこう贈ってくれたのです。

(許可なくそのまま載せますがね。)

『きっかけも何もかも違う話かもしらんけど、うーやんが言ってることがよく分かるからメールしましたー!


でもおれそんな状況になった時、ちょっとうーやん出てきたからな!

あいつは行動も言動も自由やったなって!
いっぱい死ぬほど考えているけどそういうとこ自由やったなって。

勝手にうーやんに助けられたとさえ思ってたよ!

おれも乗り越えたか乗り越えてないかはわからん状況やけど、時間ってすごい物事を解決してくれるんやな、ってのは自分が体験してわかったことでもあるねん。


だからうーやん時間ってすごいから
、いつもみたいにてきとーに世界でダラダラすごして日本帰ってきたらまた飲みにいこー!!』

と。

僕は思わずこんなチンピラな奴のメールで泣くとこでした。

絶対泣いてやるもんかと、彼女に「やべー、泣きそー」って茶化して言って場を濁しました。

じゃなきゃきっと人前でも溢れる涙はこらえれそうになかったから。


本当に体験というのは凄いです。

彼もきっと薬を飲んでまで様々な方法で闘い、色々傷付き、悩み、苦しみ、考え、その中で感じるものがあったんだと思います。

そして時間がゆっくりと、それをハッキリとしたものに変えて行ってくれてるんだと思います。

その時間が解決してくれていってるという体験が無ければ、この言葉はでなかったと思います。

世間でも、時間が解決してくれるからなんて誰でもどの本開けても書いてるし知ってる。

そして傷付いてる人がいたら、それを引用して言ったことあるでしょう?

「大丈夫!!時間がきっと解決してくれるって!!」

僕も勿論乱用してました。

でもそれが相手を更に傷つけるだけの刃だったんだと、僕も今回の体験を通して知りました。

知っていますか?

本当に苦しんでる時にまず必要なのは時間じゃないんです。

時間が解決してくれるのその時間は一体いつやねん!?

どれだけ悩めばいいねん!?

と、悩み苦しむ時間が一生のように感じるのです。

何もかもを止めにしたくなるのです。

そんな時一番必要なのは、その痛みを

「知ろうとしてくれる愛」です。

不安という孤独に押しつぶされそうな時、一人じゃないよと心にそっと寄り添ってもらえる事で、心の蓋は簡単に開くんです。

だから彼のメールは僕の心を動かすんです。

そもそも日頃から連絡をほぼとってないし自分も苦しんでるのに、人が苦しんでる時にメールを送ってくれるだけでも凄いのに、

僕の痛みを理解し分かろうとしてくれ、僕の事を知ってる人だから言える皮肉を交えながら最大限のエールを送ってくれた。


心は知っていたんだろうな。

だから俺は彼をずっと友達と思っていたんだ。

きっと日本に帰って飲みに行っても、いつもみたいにバカみたいな話しかしないんやろうけど、それでもきっと味わう酒の味は変わっているはずだな。

それが愉しみで仕方ないよ。


2014/12/09

ありがとうと、ごめんね。

エンディンゲンについた。

夏に引き続き、冬も来た。

南米行きを思考してる時に、リサちゃんとマリアンネに飛行機で飛ぶまでこっちに遊びに来いと言われた。

そんな事もあり、今回は10日ほどお世話になることにした。


このエンディンゲンも寒い。

晴れ間が覗かない。

そして忙しい時期に来てしまったみたいだ。

それでも夏の時に引き続き、ここの人達は優しい。

底に心がつくぐらい優しい。

思い出すだけで目頭が暖かくなる。

リサちゃんと行ったフランスコルマール(ハウルの動く城の舞台)のクリスマスマーケット。

リサちゃんとロルフとマリアンネと行ったストラスブールのクリスマスマーケット。

暗い気持ちになってたときに連れて行ってくれたブラックフォレストの山の凛とした風の心地良さ。

今回は忙しくてなかなか一緒に遊べなかったセビーとステフィと行ったフライブルクのマーケット。

ご飯を作ったら皆喜んで食べてくれた。

お好み焼きと焼きそばを気に入ってくれた。

リサちゃんとマリアンネの髪の毛をまた切らせてもらった。

そして今回はゴンザーロ先生の髪も切らせてもらった。

嬉しかった。

ポケットから取り出した7$をお礼にくれた。

夏よりも長くいた冬のエンディンゲン。

沢山の想い出がある。

楽しかった。

と、心からは言えない。

僕は自分の問題のせいでせっかくの素敵な時間を無駄にしてしまった。

申し訳なさで涙さえ出た。

でもどうしょうもなく心が病んでいた。

心から有難うとごめんねを言いたい。

次にあってくれる時には、ごめんねは絶対言わない。

その時をどうか楽しみに待ってて欲しいな。


突然ですが僕、Facebook辞めます。

突然ですがFacebookを辞めます。

けど、個人のアカウントは残します。

(そしてブログのFacebookアカウントは旅が終わるまでは続けます。
髪の毛を切らせてもらった時のことだけ載せて行くことにします。)

電話番号がない今、ここでしか連絡先を知らない人たちもいるので。

その利用価値はまだあると思うので今のところ使わせてもらうことにします。

まぁその作業も終わればすぐにでも完全にやめますが。


何故こんなにも素晴らしい現代の遺産を辞めるのか??

わかる人にはわかるでしょう。

そして、わからない人にはわからないでしょう。

実際僕もFacebook歴は長く、最大限に楽しく使わせてもらってました。

暇な時、アプリをピッと押して開けばすぐさま情報が手に入る。

誰かがどこかで何をしていて何を思っているかが分かるタイムライン。

いいね!押してるページの情報。

新しく来ている友達申請やメッセージ。

自分の投稿に対してのいいね!数とコメントの確認。

他人に対してのいいね!やコメント。


単純にやっていることはそんなもんでしょう。

じゃあそれを何のためにやっているのか?

それを感じたことがある人にしか、考えたことのある人にしか、もしかしたら理解してもらえないのかもしれませんね。

結局のところ。

繋がってると思うことでの安心感。

それを得るためだけのツールでしかなく、そしてそれは大いなる勘違い。

だと、僕は思っています。

そして僕はその状況こそがこの現代の最大悪だと思っています。


最初の頃はよかったかもしれません。

まだやってる友達も少なく、企業のFacebook参入も遅かった。

本当に友達の間だけで使われていた頃は素晴らしいアプリだと思っていたでしょう。

そこから一般化されるまでのスピードは早かったですね。

やってる友達も増え、企業のページも増える。

知り合えばすぐにFacebook交換、企業ページにいいね!

そしてどんどん自分のフィールドに無差別に情報が流れ込んでくる。

気がつけば自分ではもうその波を止めることはできなくなってしまっている。

情報という痛みのない暴力が津波のように押し寄せているのに。

けど本当に痛みはないのですか?

心は痛くないですか?

もうその痛みを無視して、汚染されて宇宙遊泳のようにその流れの中をふわふわと気持ち良さげに泳いでいるのですか?

その偽りの安心の中を。


僕の心はもう耐えられません。

けど負けません。

負けたからFacebookを辞めるんではありません。

その波に立ち向かうために辞めるのです。

情報サバイバル時代に肉弾戦で闘ってやるんです。

心の自由革命戦争ってヤツですな。

の現代に失われた「本当の繋がり」をもう一度手繰り寄せる為に。


世界に出たおかげかもしれません。

おかげで多くの事を感じました。

多くの事を学びました。

多くの事を考えました。

そして多くの事を捨てました。

少なくても小さくても自分が心から大事に思うものを大切にするために。


僕の旅の行く先を見てくれて楽しみにしてくれてるお客さん達や友達がいたために、今までためらっていた。

と言うのは簡単です。

結局それを言い訳に安心につかろうとしていただけなんだから。

見てくれている安心。

見ているという安心。

それは相手を知っているということではない。

相手を知りたいということでもない。

こんなもので知れるほど簡単なものでもない。

そしてこんなものを見てる時間があるなら僕は大切な人を見ていたい。


これで失われるぐらいの繋がりなら失われる方がいい。

はっきりさせた方がいい。

自分は相手にとってそれぐらいだったってことだし、僕も、

自分が人生で心から大切にできるものはこの両手を広げて囲める程だと知っているから。

けど、ここから手にする繋がりは本気繋いで行くと約束しよう。

そしてその繋がりをたとえ少しずつでもどんどん紡いで行くと誓おう。

それはこの手に収まるサイズの物では決して知ることのないものだから。

それがこの真実の見えなくなった世界で僕が見つけた光だから。


これからの僕と心から繋がってくれる人達へ向けて。
                                    09/12/2014



2014/12/08

自分の居場所を見つけた日。

人間ストレスが溜まりすぎると吐くんですね。

そして苦しくて涙が溢れてとまりませんでした。

僕のことをポジティブだと信じて疑わない方ばかり(自分含め)だろうと思いますが、僕も一人前に悩み苦しむことができたみたいです。

軽く言ってる様ですが、正直やばかったです。

ストレスを溜めるぐらい悩むことも、それでゲロを吐くなんてことも僕の人生ではどちらも初体験です。

そのぐらい僕が悩んだ時、こう思いました。

この世界は無意味だ。その無意味な世界で生きる意味はあるのか?

そんな事を考えてしまうほど心が疲れていました。

世界が本当に彩りを無くすのです。

目視できる色が無くなるのではなく、心が感じる彩りが無くなるのです。

そしていつも聞こえていた声が聞こえなくなるのです。

心の声に、なんだかんだと理由をつけては耳を塞いでしまうことは人間誰でもあるでしょう。

けど心の方が完全に塞いでしまうのはよっぽどのことです。

じゃあ何故そうなってしまったのか。

それを知るまでの日々が苦闘でした。

それは結局のところ塞いで応えてくれなくなってしまった心に聞くしか方法がなかったからです。

応えてくれる様々な方法を思考し試しました。

大抵は自然の中で自分と対話すれば自ずと聞こえてくる声も、この時夏に一度行ったドイツのエンディンゲンでホームステイさせてもらってたのでなかなか叶えることができませんでした。

それ以前に旅に疲れていたので、心身共にリラックスしに来たのですが一人になるという時間がなく、ついにリラックスできることもありませんでした。

逆に人とコミュニケーションを取らなければならなくなる事がストレスの原因となっていったのです。

そもそも英語が話せたらこのストレスは無かったのだと思いますが、英語が話せない僕がそれでも英語を使ってコミュニケーションをとる時普段からそれ自体がストレスだからです。

そしてそれでも優しく接してくれる皆にまで心を塞いでしまう自分に腹が立ち、悲しくなりました。

けれどそれがわかっていても、もうどうしようもない域まで達していました。

全てを受け入れようとしなくなったのです。

自分の手の届く安全が守られている範囲で生きているだけで自分は幸せなんだと悟ったふりをしだしたのです。

そうすれば傷つくこともなく、ストレスを感じることもなく日々穏やかに暮らして行けると。

心底穏やかな暮らしを求め出しました。

すると心が突然胸を張り裂ける勢いで叫んできました。

日本に帰りたい!!!と。

それは痛烈な痛みを伴う叫びでした。

今思い返して書いてみても泣きそうになります。

夢だった世界を旅して見たこともない景色をみて、口にしたこともない料理を食べて、旅で出会った友と酒を飲み語らい、日本にいるだけではできるはずもなかった様々な経験をして、

世界はこんなにも素晴らしく、こんなにもきらめいていると感じて思っていたはずなのに、

こうしてその世界が突如として彩りをなくし無意味になってしまったのです。

世界は残酷だ!

知りたくなかった!

行くんじゃなかった!

もう何もいらない!

これが負のスパイラルってやつなんでしょうね。


僕がきっと一人ならこの時点で完全に帰っていました。

いや二人だったから尚更帰りたいと思っていたんでしょう。

こんなにも苦しんでるのに僕の事を一つも知ろうとしてくれない。助けてくれないと。

何故知ろうとしてくれないんだ!

何故助けてくれないんだ!

お前の言う愛なんてそんなものなのか!

じゃあ何故私ならあなたを幸せにしてあげられるって言ったんや!

それが出来ないならお前なんていらん!消えてくれと!


そんな悲惨な暴言を吐いていました。

言ってしまえばただのエゴで、ただのワガママです。

そんな事はわかっていてもそんな想いが僕を蝕みはじめたのです。

蝕み出したそれは津波のごとく身体中のありとあらゆるものをのみ込んで、やがて引いて行きました。


その瞬間にわかったことがありました。

僕が欲しかったもの、それは

「愛」なんだと。

この世で唯一無二なものこそ愛なんだと。

そして僕はそれを生まれながらに求めて捜して欲しているんだと。

暴言を吐いてしまったのも、そういう方法でしか僕は自分を知ってもらう術を知らないし、それを知ってもらって尚僕を愛してくれてるという確証が欲しいから。

そのために必要なことはまず、

自分の弱さを認めてあげること。

認めて愛してあげること。

そして自分を信じてあげること。


絶え間無く愛を降り注いでくれる太陽のように自分の心にしてあげられるのはまず自分。

そして同じように想える人がいたら自分と同じかそれ以上に、その愛を降り注いであげること。

その時に何かを失うかもしれない。

大事だと思っていたものを手放さなくてはならないかもしれない。

でも知っていて。いやここまできたら知ってるはずやよ。

たとえ捨てたとしても失うということはないし、手放すということもない。

どこまでいったってそれは君の一部として共に生きて行くもの。

目に見えるものや、心に繋がれた鎖に惑わされないで。

未来が不安だから過去の安心にすがらないで。

それはいつでも逃げれる場所を用意してあるだけ。

怒らず聴いて。耳をすませてみて。心はきっと知ってるはずだから。

今何が大事か、今誰が大事か。

それを間違うことは許されない。

僕にとって、それは君だよ。

心が教えてくれた。

君を愛するために、君に愛されるために不必要なものなら喜んで手放そう。

僕にはこの世にそれ以上はないと知ったから。

もし君もそうだったら嬉しいんだけどな。

そしたらこの残酷な世界でも、彩りをなくした世界でも、二人の周りはきっと彩りに溢れた世界になると感じるよ。

そして、きっと少しずつ色を足して行く作業も君となら楽しいと感じるよ。

そんな風に生きたいと願う。

世界は悲しい程に複雑で、そして時に笑える程にシンプルなもんだから。





今を忘れない為にここに記す。
                                         08/12/2014



2014/12/02

初めてのケルン、2度目のドイツ。

ケルンについた。

数日間サラの家にお世話になることになってる。

サラは夏にドイツ南部のエンディンゲンで過ごした時の家族の一人。そしてドイツ人で初めてカットした人。

彼女は勉強の為にケルンで一人暮らし。

そして大のロック好き。

半分ベネズエラのラテンの血だからノリがヤバイのなんの。

久々なのに覚えていてくれて嬉しかった。


サラは学校で夜しか一緒に過ごせなかった。

サラの為にカレーを作ったら、美味しいと喜んで3杯も食べた。

うん、食べ過ぎだ。

昼間はケルン観光。

とりあえず寒い。

けどその寒い時期の見所だってある。

クリスマスマーケット。

ドイツが本場。日本でも有名。

この思ってたよりも素敵だったケルン大聖堂の町でももちろん至る所にクリスマスマーケットがある。

一つの街で何個ぐらいやろ。5個ぐらいはやってんのかな。

いやもっとか。

駅ごとにある。

スケートリンクやカーリング場なんかもマーケットにある。

そしてグリューヴァインというスパイスの効いたホットワインを飲みながら、この寒空の下語り合うのがドイツ流。

そして初日の僕らは、

早速帰った。

帰ったんかィ‼︎‼︎‼︎ヒーーー‼︎‼︎‼︎

このままケルンでグリューヴァインを飲むことはなかったが、生活の中にクリスマスマーケットが普通にあるのはなんとも素敵だった。

サラ、ありがとう。

ケルンは素敵な町だった。