2014/12/26

地球が俺の先生だったみたい。

えー、Blogというやつはそりゃもうめんどくさいの一言に限る。

けどFacebookの投稿をやめた以上これをやめるわけにはいかぬ。そう決めた。

だってこれ、見てくれる人しか見てくれんでしょ?

興味を持ってくれてる人がわざわざ忙しい一日のうちの時間を僕にさいてくれてる。

そう、感じるだけで幸せなんじゃないか。

だからお気付きかもしれないが赤裸々に自分のことを書くことにした。

あっこよかったよー!あれおいしかったよー!なんて旅の情報なんかガイドブックかインターネットで検索したら一秒で出るわい!

そんな時代じゃ。くるしゅうない。


あんね、最近は悩みから思考の渦。

今はね、一皮剥けたってやつでしょーな、色んなことをまた普段通りポジティブに感じて考えられるようになった。

そしてね、気付いちゃった。

俺ってなんてすげぇことしてんだって。

いやいや最近のほんと最近までね、世界一周なんてつまんねぇ。とさへずっと思って悩んでたからね。

悩んだ結果そこから今も色んなことがシンプルになってきてんだなぁ。

今日わかったことはさ、自分の好きと嫌い。それがはっきりとわかるようになってきた。

俺はずっとこの資本主義の文明の中で生きてきて、便利なもんで溢れてて何不自由ないのに何故か毎日不自由に感じてて、窮屈だったんだ。自由になりたかったんだ。

どう自由になりたかったんだ??って聞いてみたところ、「心の解放‼︎‼︎‼︎」って応えるわけよ。精神維新じゃ。

あっ!待って待って!宗教的思考はないから!笑

ただ自由思想やジャパニーズの大和魂は持ってる。

そして自然を愛すし、平和や愛を信じる。

ははっ!完全ヒッピー思考やん!と思ったやろ?

日本じゃこんなん思ってたら、「過激派‼︎‼︎‼︎」なんて言われんのかな?

それとも歳考えろよ‼︎‼︎‼︎ってな具合か。

けどさ俺はこの思想が好きだよ。

そしてその中での方が生きやすい。

かといって世界に出て見るヒッピー達はけして素敵とは言えない。

その思想を身内ノリで楽しんでるだけにしか思えない。

エネルギーは凄いのになぁなんか残念やなぁって思うし、俺もそんなんにはなりたくないって心から思ってた。

思想はそうなのに、そうは生きたくない。

そんなとき一生に一度は世界一ののカウントダウンを味わうためにNYに来た。

そしてここで僕に結論がでた。

最初は小さい頃から大人の頃まで憧れだったNY。

初めてのタイムズスクエア。アメリカのグレーな空気感。ワクワクした。

けど、数日で僕の心は苦しみだした。

最初の数日は資本主義の日本という国で育てられた為のワクワク感だったんだと思う。

数日後、嫌いになった。NYが。

特に事件があったわけじゃない。ただ大量生産大量消費。物や人で溢れたこの世界が自然と嫌いになった。

よく見たら欲しいものなんて一つもねぇじゃねぇか。

世界が捻じ曲がってやがるじゃねぇか。

俺の生きる世界はこんなとこじゃねぇ。けどヒッピーみたいな生活はしたくねぇ。

なんか自分に合ったその中間は無いのかと探して見たらさ、いやーなんでも今の世界はあるわけですよ。

人はさ、不安なものに名前を付けたがる。そして社会と属してると安心してしまう。

その安心感を得た僕は彼女に、こんな生き方してる人達いるらしいよ?俺もきっとそこなんだわ。と言ってみる。

すると言われた。

そもそも何かに属する必要あるの??と。

、、、、、

ひょえー。なんてこった。

稲妻っちゅうやつが走りました。


僕自身の世界もこの生きてる世界ももっと単純じゃないか。

好きか嫌いでいいじゃないか。

楽しいか楽しくないかでいいじゃないか。

そこで嫌いなものや楽しくないもので悩む必要なんてないじゃないか。

この嫌いだと思ったNYでも楽しいと思えることはいっぱいあるじゃないか。

そう心から思った瞬間にもう一枚皮が剥けましたわ。

最近ね剥けまくり。肌荒れるわ。

でもね、でもね、世界なんか出る前からそんなこと知ってたんやで。

自分探しの旅なんて言われて世の中最近ざわついてますけど、自分探しなんて旅に出たってできへん、答えは自分の中にしかないんやから!なんて思ってましたんやで。

旅に出たって世界観なんて変わらん!なんて思ってましたんやで。

けどね、びっくらこきました。

正確に言うと。
旅に出ると、体験を通し頭ではなく心で知れる。自分の心を探し見つめ返せる。そして、新しい世界を知るといったところでしょうか。

日本を離れて1年半。

僕はようやく素直に求めてた自分になりつつあります。

まだまだだと思いますが。

そして、世界一周なんてつまんねぇ!なんてとんでもない。

僕はなんてことをしてるんだと思えるようになりました。

世界を相手に自分を知ろうと闘ってるんだと。

この地球という星が僕の学び舎なんだと。

どうせやるなら、この星を楽しみながらやってやろうじゃないの。

それが終わったら次は宇宙でも相手にしてやるかなっ!無重力に漂いながら。



今のワクワク。

大人になると何故こんなにも世界がつまらなくなるんだろうか。

小さい頃想像してた世界はこんな世界ではなかったはずなのに。

大人になって想像してた世界に飛び出したのにわくわくしないなんて。

色んなものを削ぎ落として自分に向き合えば向き合うほど窮屈になる。

誰だよ、削ぎ落とせば自由になれるなんて言ったの。

嘘つくなよ。

生きる為に必要なことがどんどん押し寄せてくるじゃねぇかよ。

あー日本に帰ったらやりたい事がいっぱいあるよ。

あるのに今は何もできないなんて、生殺しってやつやな。

勉強、勉強、勉強中。

確かにそう。

今この状況だからこう思てるわけ。

今この状況だからやりたい事が沢山出てくるわけ。

考えることが山ほどあるわけ。

ただもどかしいんじゃい!!

そのパワーを今に向けれない。

ただ楽しみたいのに、ただ楽しむことすらできない。

楽しみ方を忘れたのか??

もっと素直に楽しめる人間だったはずやぞ。

思い出せ。思い出せ。

いやでもそうだ。

削ぎ落として行く中で、興味のあるものと無いものが明確になり出したんだ。

無い物に時間とお金を使うのがもったいないと思うようになったんだ。

あとは何をしたいのか、何に情熱を向けるのか何に生き甲斐を見出すのか。

そこを想像することが今の俺のワクワクなんだな、これが。

2014/12/22

初めてのNY。

いやー人生で1度は来たい都市NY。

ビビりながら降り立つ。

空港で一泊。

ここから3週間のNY生活が始まる。

なんとも贅沢。

その内2週間はミカちゃんの友達のアヤちゃんと彼氏のヨンジュンの家に泊まらせてもらえることになるのでありがたい限りです。

まぁといってもそんなたいしたことはしてないんやけどね。

ハンバーガー食いに行ったり、アイススケートしたり、ブルックリンで買い物したり、自然史博物館で萌えに萌えたり嫌いな美術館行ったりと普通の生活やね。

ブロードウェイでミュージカルも、ワールドトレードセンターも、自由の女神もトップオブザロックも登ってない。

観光客が絶対することを絶対的にしてないねぇ。

寒いからする気起きん。

夏にもっかい帰ってくるからえっかーって感じでそんなのスルー。

けどラーメン食いに行ったり牛角で焼肉食ったりと、なかなか旅中にできることじゃない贅沢なんかしちゃったりねぇ。

まぁなんとものんびり過ごしましたわ。

たいしておもろないなこのブログ。

鼻くそや。

終わらそ。


あっ、でもやっぱアメリカのハンバーガーのクオリティはバヤイねっ!

間違いなく世界一!!


それだけ言わせてもらって締めたいと思います。

2014/12/13

歴史を知る。

世界は戦いの歴史です。

平和という時代はその中でほんの一部。

いや本当の意味での平和はまだまだ先になりそうですね。

そもそも来ないかもしれない、全員が望まなければ。

今日はドイツ、ベルリンにいました。

2回目のベルリン。

今回はちゃんとベルリンの歴史を見ようと思いました。

まぁ彼女が知りたいというものですから、はい。

僕は歴史には興味ありありです。

なんせ歴史は人の財産です。

歴史を無視して今を生きることは不可能ですから。

けど、戦争系の博物館が大嫌いです。

歴史を知りたくないわけではありません。

心が苦しくなるんです。

ありがたいことに戦争を体験していません。

他国の戦争はTVで見ていても、それは別次元の話としてしか頭は理解していません。

それでも戦争の悲惨さは嫌という程叩き込まれてはいます。

そういう教育です。

正直あの頃はつまんないやつです。

だけど戦争はしてはいけない!という事は知っている。

だから心が苦しくなるぐらいなら行かない方がいい。

それが僕が戦争系の博物館が嫌いな理由です。

けど今の状況で行って良かったと思いました。

今回はナチスとベルリンの壁について。

どちらも本当に悲惨な歴史です。

全部を理解したわけでは甚だありません。

むしろまだ何も知らないレベルです。

けど、行くだけで感じる空気がある。


僕が言いたいのは、

戦争で国のために犠牲者として命を奪う権利も奪われる権利もやっぱり全然ないということです。

とくにナチスもベルリンの壁にまつわる歴史は酷い。

死ぬ意味のない命がナチとソ連によって奪われている。

奪われているどころじゃない。

命は人が唯一手にしている尊厳だ。

それを同じ人間が奪うことはあってはならない。

世界ってなんなん?

国ってなんなん?

平和ってなんなん?

愛ってなんなん??

答えなんて簡単に出せないけど、きっと誰もが幸せを望んでるはず。

そして僕はその幸せが実は、国籍も、人種も何も関係なく全ての人類が本当は知ってるものだと思っている。

それをなすためにはまず、歴史を知ることから始めないと。

2014/12/10

友からのメール。

悩んでいたことをブログで打ち明けると、友人から僕の気持ちがわかると一通のメールをもらいました。

その友人は、精神安定剤をもらわないといけないほどに、今年初めに悩み苦しみ耐えていたことをメールで教えてくれました。

彼も僕と同じようになったと言いました。

世界の全てが無意味に思え、生きてることにさへその理由を感じなくなったと。

そうなった結果的要因は僕とは違うかもしれません。

けど結局のところは一緒だと思います。

自分の心を愛して、慈しんであげることができなくなったんだと思います。

その友達は今年初め、独立ということを本気で考えたみたいです。

それは人生の大きな決断です。

その時にきっと自分の過去、現在、未来、今までどう生きて、今どう生きて、これからどう生きて行くか。

何を求めて、何を捨てて、何が大事で、何を守れて、何が出来て、何をしたいか。

そういうところから様々な悩みが駆け抜けたんでしょう。

その瞬間に心に蓋が閉まったんだと思います。

心が耐えれなくなり、感じることを辞めたんだと思います。

僕も今だから分かります。

本当に辛かったんだろうな、苦しかったんやろうな。

それでも自分の心だから自分一人で闘わなきゃいけない。

彼はそう思い、負けずに闘ったみたいです。

そんな友達を誇りに思います。

そして友は、今もまだ乗り越えてるか乗り越えてないか分からない状態なのに、僕が同じ様に苦しんでるからと精一杯のエールをこう贈ってくれたのです。

(許可なくそのまま載せますがね。)

『きっかけも何もかも違う話かもしらんけど、うーやんが言ってることがよく分かるからメールしましたー!


でもおれそんな状況になった時、ちょっとうーやん出てきたからな!

あいつは行動も言動も自由やったなって!
いっぱい死ぬほど考えているけどそういうとこ自由やったなって。

勝手にうーやんに助けられたとさえ思ってたよ!

おれも乗り越えたか乗り越えてないかはわからん状況やけど、時間ってすごい物事を解決してくれるんやな、ってのは自分が体験してわかったことでもあるねん。


だからうーやん時間ってすごいから
、いつもみたいにてきとーに世界でダラダラすごして日本帰ってきたらまた飲みにいこー!!』

と。

僕は思わずこんなチンピラな奴のメールで泣くとこでした。

絶対泣いてやるもんかと、彼女に「やべー、泣きそー」って茶化して言って場を濁しました。

じゃなきゃきっと人前でも溢れる涙はこらえれそうになかったから。


本当に体験というのは凄いです。

彼もきっと薬を飲んでまで様々な方法で闘い、色々傷付き、悩み、苦しみ、考え、その中で感じるものがあったんだと思います。

そして時間がゆっくりと、それをハッキリとしたものに変えて行ってくれてるんだと思います。

その時間が解決してくれていってるという体験が無ければ、この言葉はでなかったと思います。

世間でも、時間が解決してくれるからなんて誰でもどの本開けても書いてるし知ってる。

そして傷付いてる人がいたら、それを引用して言ったことあるでしょう?

「大丈夫!!時間がきっと解決してくれるって!!」

僕も勿論乱用してました。

でもそれが相手を更に傷つけるだけの刃だったんだと、僕も今回の体験を通して知りました。

知っていますか?

本当に苦しんでる時にまず必要なのは時間じゃないんです。

時間が解決してくれるのその時間は一体いつやねん!?

どれだけ悩めばいいねん!?

と、悩み苦しむ時間が一生のように感じるのです。

何もかもを止めにしたくなるのです。

そんな時一番必要なのは、その痛みを

「知ろうとしてくれる愛」です。

不安という孤独に押しつぶされそうな時、一人じゃないよと心にそっと寄り添ってもらえる事で、心の蓋は簡単に開くんです。

だから彼のメールは僕の心を動かすんです。

そもそも日頃から連絡をほぼとってないし自分も苦しんでるのに、人が苦しんでる時にメールを送ってくれるだけでも凄いのに、

僕の痛みを理解し分かろうとしてくれ、僕の事を知ってる人だから言える皮肉を交えながら最大限のエールを送ってくれた。


心は知っていたんだろうな。

だから俺は彼をずっと友達と思っていたんだ。

きっと日本に帰って飲みに行っても、いつもみたいにバカみたいな話しかしないんやろうけど、それでもきっと味わう酒の味は変わっているはずだな。

それが愉しみで仕方ないよ。


2014/12/09

ありがとうと、ごめんね。

エンディンゲンについた。

夏に引き続き、冬も来た。

南米行きを思考してる時に、リサちゃんとマリアンネに飛行機で飛ぶまでこっちに遊びに来いと言われた。

そんな事もあり、今回は10日ほどお世話になることにした。


このエンディンゲンも寒い。

晴れ間が覗かない。

そして忙しい時期に来てしまったみたいだ。

それでも夏の時に引き続き、ここの人達は優しい。

底に心がつくぐらい優しい。

思い出すだけで目頭が暖かくなる。

リサちゃんと行ったフランスコルマール(ハウルの動く城の舞台)のクリスマスマーケット。

リサちゃんとロルフとマリアンネと行ったストラスブールのクリスマスマーケット。

暗い気持ちになってたときに連れて行ってくれたブラックフォレストの山の凛とした風の心地良さ。

今回は忙しくてなかなか一緒に遊べなかったセビーとステフィと行ったフライブルクのマーケット。

ご飯を作ったら皆喜んで食べてくれた。

お好み焼きと焼きそばを気に入ってくれた。

リサちゃんとマリアンネの髪の毛をまた切らせてもらった。

そして今回はゴンザーロ先生の髪も切らせてもらった。

嬉しかった。

ポケットから取り出した7$をお礼にくれた。

夏よりも長くいた冬のエンディンゲン。

沢山の想い出がある。

楽しかった。

と、心からは言えない。

僕は自分の問題のせいでせっかくの素敵な時間を無駄にしてしまった。

申し訳なさで涙さえ出た。

でもどうしょうもなく心が病んでいた。

心から有難うとごめんねを言いたい。

次にあってくれる時には、ごめんねは絶対言わない。

その時をどうか楽しみに待ってて欲しいな。


突然ですが僕、Facebook辞めます。

突然ですがFacebookを辞めます。

けど、個人のアカウントは残します。

(そしてブログのFacebookアカウントは旅が終わるまでは続けます。
髪の毛を切らせてもらった時のことだけ載せて行くことにします。)

電話番号がない今、ここでしか連絡先を知らない人たちもいるので。

その利用価値はまだあると思うので今のところ使わせてもらうことにします。

まぁその作業も終わればすぐにでも完全にやめますが。


何故こんなにも素晴らしい現代の遺産を辞めるのか??

わかる人にはわかるでしょう。

そして、わからない人にはわからないでしょう。

実際僕もFacebook歴は長く、最大限に楽しく使わせてもらってました。

暇な時、アプリをピッと押して開けばすぐさま情報が手に入る。

誰かがどこかで何をしていて何を思っているかが分かるタイムライン。

いいね!押してるページの情報。

新しく来ている友達申請やメッセージ。

自分の投稿に対してのいいね!数とコメントの確認。

他人に対してのいいね!やコメント。


単純にやっていることはそんなもんでしょう。

じゃあそれを何のためにやっているのか?

それを感じたことがある人にしか、考えたことのある人にしか、もしかしたら理解してもらえないのかもしれませんね。

結局のところ。

繋がってると思うことでの安心感。

それを得るためだけのツールでしかなく、そしてそれは大いなる勘違い。

だと、僕は思っています。

そして僕はその状況こそがこの現代の最大悪だと思っています。


最初の頃はよかったかもしれません。

まだやってる友達も少なく、企業のFacebook参入も遅かった。

本当に友達の間だけで使われていた頃は素晴らしいアプリだと思っていたでしょう。

そこから一般化されるまでのスピードは早かったですね。

やってる友達も増え、企業のページも増える。

知り合えばすぐにFacebook交換、企業ページにいいね!

そしてどんどん自分のフィールドに無差別に情報が流れ込んでくる。

気がつけば自分ではもうその波を止めることはできなくなってしまっている。

情報という痛みのない暴力が津波のように押し寄せているのに。

けど本当に痛みはないのですか?

心は痛くないですか?

もうその痛みを無視して、汚染されて宇宙遊泳のようにその流れの中をふわふわと気持ち良さげに泳いでいるのですか?

その偽りの安心の中を。


僕の心はもう耐えられません。

けど負けません。

負けたからFacebookを辞めるんではありません。

その波に立ち向かうために辞めるのです。

情報サバイバル時代に肉弾戦で闘ってやるんです。

心の自由革命戦争ってヤツですな。

の現代に失われた「本当の繋がり」をもう一度手繰り寄せる為に。


世界に出たおかげかもしれません。

おかげで多くの事を感じました。

多くの事を学びました。

多くの事を考えました。

そして多くの事を捨てました。

少なくても小さくても自分が心から大事に思うものを大切にするために。


僕の旅の行く先を見てくれて楽しみにしてくれてるお客さん達や友達がいたために、今までためらっていた。

と言うのは簡単です。

結局それを言い訳に安心につかろうとしていただけなんだから。

見てくれている安心。

見ているという安心。

それは相手を知っているということではない。

相手を知りたいということでもない。

こんなもので知れるほど簡単なものでもない。

そしてこんなものを見てる時間があるなら僕は大切な人を見ていたい。


これで失われるぐらいの繋がりなら失われる方がいい。

はっきりさせた方がいい。

自分は相手にとってそれぐらいだったってことだし、僕も、

自分が人生で心から大切にできるものはこの両手を広げて囲める程だと知っているから。

けど、ここから手にする繋がりは本気繋いで行くと約束しよう。

そしてその繋がりをたとえ少しずつでもどんどん紡いで行くと誓おう。

それはこの手に収まるサイズの物では決して知ることのないものだから。

それがこの真実の見えなくなった世界で僕が見つけた光だから。


これからの僕と心から繋がってくれる人達へ向けて。
                                    09/12/2014



2014/12/08

自分の居場所を見つけた日。

人間ストレスが溜まりすぎると吐くんですね。

そして苦しくて涙が溢れてとまりませんでした。

僕のことをポジティブだと信じて疑わない方ばかり(自分含め)だろうと思いますが、僕も一人前に悩み苦しむことができたみたいです。

軽く言ってる様ですが、正直やばかったです。

ストレスを溜めるぐらい悩むことも、それでゲロを吐くなんてことも僕の人生ではどちらも初体験です。

そのぐらい僕が悩んだ時、こう思いました。

この世界は無意味だ。その無意味な世界で生きる意味はあるのか?

そんな事を考えてしまうほど心が疲れていました。

世界が本当に彩りを無くすのです。

目視できる色が無くなるのではなく、心が感じる彩りが無くなるのです。

そしていつも聞こえていた声が聞こえなくなるのです。

心の声に、なんだかんだと理由をつけては耳を塞いでしまうことは人間誰でもあるでしょう。

けど心の方が完全に塞いでしまうのはよっぽどのことです。

じゃあ何故そうなってしまったのか。

それを知るまでの日々が苦闘でした。

それは結局のところ塞いで応えてくれなくなってしまった心に聞くしか方法がなかったからです。

応えてくれる様々な方法を思考し試しました。

大抵は自然の中で自分と対話すれば自ずと聞こえてくる声も、この時夏に一度行ったドイツのエンディンゲンでホームステイさせてもらってたのでなかなか叶えることができませんでした。

それ以前に旅に疲れていたので、心身共にリラックスしに来たのですが一人になるという時間がなく、ついにリラックスできることもありませんでした。

逆に人とコミュニケーションを取らなければならなくなる事がストレスの原因となっていったのです。

そもそも英語が話せたらこのストレスは無かったのだと思いますが、英語が話せない僕がそれでも英語を使ってコミュニケーションをとる時普段からそれ自体がストレスだからです。

そしてそれでも優しく接してくれる皆にまで心を塞いでしまう自分に腹が立ち、悲しくなりました。

けれどそれがわかっていても、もうどうしようもない域まで達していました。

全てを受け入れようとしなくなったのです。

自分の手の届く安全が守られている範囲で生きているだけで自分は幸せなんだと悟ったふりをしだしたのです。

そうすれば傷つくこともなく、ストレスを感じることもなく日々穏やかに暮らして行けると。

心底穏やかな暮らしを求め出しました。

すると心が突然胸を張り裂ける勢いで叫んできました。

日本に帰りたい!!!と。

それは痛烈な痛みを伴う叫びでした。

今思い返して書いてみても泣きそうになります。

夢だった世界を旅して見たこともない景色をみて、口にしたこともない料理を食べて、旅で出会った友と酒を飲み語らい、日本にいるだけではできるはずもなかった様々な経験をして、

世界はこんなにも素晴らしく、こんなにもきらめいていると感じて思っていたはずなのに、

こうしてその世界が突如として彩りをなくし無意味になってしまったのです。

世界は残酷だ!

知りたくなかった!

行くんじゃなかった!

もう何もいらない!

これが負のスパイラルってやつなんでしょうね。


僕がきっと一人ならこの時点で完全に帰っていました。

いや二人だったから尚更帰りたいと思っていたんでしょう。

こんなにも苦しんでるのに僕の事を一つも知ろうとしてくれない。助けてくれないと。

何故知ろうとしてくれないんだ!

何故助けてくれないんだ!

お前の言う愛なんてそんなものなのか!

じゃあ何故私ならあなたを幸せにしてあげられるって言ったんや!

それが出来ないならお前なんていらん!消えてくれと!


そんな悲惨な暴言を吐いていました。

言ってしまえばただのエゴで、ただのワガママです。

そんな事はわかっていてもそんな想いが僕を蝕みはじめたのです。

蝕み出したそれは津波のごとく身体中のありとあらゆるものをのみ込んで、やがて引いて行きました。


その瞬間にわかったことがありました。

僕が欲しかったもの、それは

「愛」なんだと。

この世で唯一無二なものこそ愛なんだと。

そして僕はそれを生まれながらに求めて捜して欲しているんだと。

暴言を吐いてしまったのも、そういう方法でしか僕は自分を知ってもらう術を知らないし、それを知ってもらって尚僕を愛してくれてるという確証が欲しいから。

そのために必要なことはまず、

自分の弱さを認めてあげること。

認めて愛してあげること。

そして自分を信じてあげること。


絶え間無く愛を降り注いでくれる太陽のように自分の心にしてあげられるのはまず自分。

そして同じように想える人がいたら自分と同じかそれ以上に、その愛を降り注いであげること。

その時に何かを失うかもしれない。

大事だと思っていたものを手放さなくてはならないかもしれない。

でも知っていて。いやここまできたら知ってるはずやよ。

たとえ捨てたとしても失うということはないし、手放すということもない。

どこまでいったってそれは君の一部として共に生きて行くもの。

目に見えるものや、心に繋がれた鎖に惑わされないで。

未来が不安だから過去の安心にすがらないで。

それはいつでも逃げれる場所を用意してあるだけ。

怒らず聴いて。耳をすませてみて。心はきっと知ってるはずだから。

今何が大事か、今誰が大事か。

それを間違うことは許されない。

僕にとって、それは君だよ。

心が教えてくれた。

君を愛するために、君に愛されるために不必要なものなら喜んで手放そう。

僕にはこの世にそれ以上はないと知ったから。

もし君もそうだったら嬉しいんだけどな。

そしたらこの残酷な世界でも、彩りをなくした世界でも、二人の周りはきっと彩りに溢れた世界になると感じるよ。

そして、きっと少しずつ色を足して行く作業も君となら楽しいと感じるよ。

そんな風に生きたいと願う。

世界は悲しい程に複雑で、そして時に笑える程にシンプルなもんだから。





今を忘れない為にここに記す。
                                         08/12/2014



2014/12/02

初めてのケルン、2度目のドイツ。

ケルンについた。

数日間サラの家にお世話になることになってる。

サラは夏にドイツ南部のエンディンゲンで過ごした時の家族の一人。そしてドイツ人で初めてカットした人。

彼女は勉強の為にケルンで一人暮らし。

そして大のロック好き。

半分ベネズエラのラテンの血だからノリがヤバイのなんの。

久々なのに覚えていてくれて嬉しかった。


サラは学校で夜しか一緒に過ごせなかった。

サラの為にカレーを作ったら、美味しいと喜んで3杯も食べた。

うん、食べ過ぎだ。

昼間はケルン観光。

とりあえず寒い。

けどその寒い時期の見所だってある。

クリスマスマーケット。

ドイツが本場。日本でも有名。

この思ってたよりも素敵だったケルン大聖堂の町でももちろん至る所にクリスマスマーケットがある。

一つの街で何個ぐらいやろ。5個ぐらいはやってんのかな。

いやもっとか。

駅ごとにある。

スケートリンクやカーリング場なんかもマーケットにある。

そしてグリューヴァインというスパイスの効いたホットワインを飲みながら、この寒空の下語り合うのがドイツ流。

そして初日の僕らは、

早速帰った。

帰ったんかィ‼︎‼︎‼︎ヒーーー‼︎‼︎‼︎

このままケルンでグリューヴァインを飲むことはなかったが、生活の中にクリスマスマーケットが普通にあるのはなんとも素敵だった。

サラ、ありがとう。

ケルンは素敵な町だった。

2014/11/30

優美な風者群。

アムステルダムは京都みたいな感じやったけど、ロッテルダムはそれに比べりゃまるで東京。

そんなとこから少し行けば、オランダといえば!という景色が広がってる。

何想像する??

チューリップ??夏ならそうかもね。

も一つあるでしょ?

風車でしょ。

キンデルハイクって世界遺産の場所に19基の風車が未だに残っとるんやわ。

ローカルバスに揺られ1時間ほど走ると
見えてくる。

そのオランダらしい景色についみとれてしまう。

でっかい風車の車輪を回し続ける風の強さを感じる。

普段見えない風をこういう方法でも見ることが出来る。

そしてそれを利用してきた人達の生活も想像できる。

沈む夕陽の中に浮かぶ風者群の姿はあまりにも優雅で時間がゆっくりと過ぎて行くようだった。

が、帰りのバスが全然来なくて2時間以上待った。

その時はさすがに早く時間が過ぎてくれと切に願った。




2014/11/28

ヨーロッパでNo.1かもな。

オランダにはさ来るつもりなかったんやけど、急遽NYカウントダウンに行くことにして安いチケット探してたらドイツのハンブルグから出てたので12月12日発のそのチケットをおさえたのでそこまでのルートを考えた結果、オランダに寄ることにした。

フィンランドからドイツよりもスウェーデンに飛びオランダに飛び陸路でドイツに入るのと値段が変わらなかったから。

そのオランダが自分の中でヨーロッパNO.1かもと思うとは思ってもみなかったな。

町中はそこらじゅうが古い建物と運河に囲まれていてどこを歩いても美しい景色、そして様々な店で溢れている。

それにマリファナが合法化されてて、普通にCOFFEE SHOPで吸えるし、種だって店で買える。

タバコ屋でフィルター買おうとしたら、シガレット用かジョイント(マリファナを吸う時のロングペーパー)をどちらか聞かれるし、朝から大麻の匂いで溢れている。

飾り窓も有名で、観光MAPにレッドライトZONEとして載ってるぐらいやし、夜になればその辺一体はその名の通り赤い照明のなか女が凄いコスチュームで窓に飾られて男を誘惑している。
アダルトショップやストリップ劇場なんかも山程あって男女関係なく賑わっている。

ババァばっかりと聞いていたが、可愛く普通の子だって案外いたことにビックリやし、アダルトショップでカップルがSMキットや年老いた夫婦でもアダルトグッズを楽しそうにチョイスして購入している姿はそれだけで刺激的なのである。

まぁそういうイメージが先行するオランダだが、アムステルダムはそれを含めなくてもどこを歩いても楽しく、インスピレーションを与えてくれる。

ARTという点でも博物館、ミュージアムも多いし、ゴッホ、レンブラント、それに日本でもキティー並に人気のミッフィーの生みの国らしい。ミッフィーはさすがに知らんかったけど。

それになんかチーズもハチミツも有名らしいの。

いやーもう沢山!!

そんなんどうでもいいわ!!!

とりあえず最高におもろい!!!

遊ぶっていう点より、想像力を掻き立てられる点で!

なんかアムステルダムにいてたらゴッホの気持ちが分かるわ。

絵でも描いてみるかな。




イーーーネ!!!

2014/11/27

ノーベル賞でももらいに行くか。

ロヴァニエミからサンタクロースエクスプレスという意味わからんほど高い電車でヘルシンキまで戻った。

ほんまに物価高いわ。

特に交通費がえらいこっちゃ。

ヘルシンキは前に半日で回ったから特にすることないんやけども、そん時に一つやり忘れたことあったから夕方スウェーデン行きの飛行機に乗るまでまた半日あったからとそれをクリアにしいく。

大したもんじゃないねんけどね。

寿司ビュッフェ15€って看板見つけたからそんなん食っとくしかないっしょ!ジャパニーズとして。

ほぼサーモンばっかやけど、フィンランドはサーモン有名やからね、マジでうまい。炙りサーモンなんかもあったし、味噌汁付き。

爆萌。

とまぁいい感じでヘルシンキを後にしてスウェーデンはストックホルムへと向かう。

まぁちなみに今夜も空港泊さっ!

なんてったって物価も宿泊費も高いんやから夜着で泊まるだけなら空港が一番!約15時間ほどは空港にいることになるんやけどね。笑

新しい朝が来た。

次の日空港から市内までバスで行く。
往復3000円ぐらいなもん、高い。

スウェーデンはそういやスウェーデンクローネっていう独自の通貨を使っている。
まぁ土産物屋ではユーロも使えるみたいやね。

それでも使えるとこは少ないのでクローネをおろしたいとこですが、手数料もハンパないので全てクレジットで済ます。

これが北欧での最適な手段。見習うように。

そんなこんなでやっとこさノーベル賞を授賞されに行こう。

えっ??何賞貰えるの??って思いましたよねぇ?

FBに投稿した時も皆さん真剣にマジで?何賞?ってコメントくれましたがね、もらえるわけ無いやん?馬鹿たれ。

ノーベル賞なんて常人を超えた先に行った人しかもらわれへんのやから。

「生きてるだけですごいで賞」ぐらいがあれば授賞できたやろけどね。

誰かさんが僕なんて、「ええ加減で賞」しかもらわれへんやろ!と言いましたが、それは無理です。

高田純次が先に授賞しますから。

と、そんなことはさておき。
とりあえずノーベル賞は五つの分野で功績をあげた人に毎年ノーベル財団から勲章を与えられるのである。

五つの分野とは、物理、、、

そしてこの式典に使用されるお金は全てノーベル本人の財産から支払われているそう。

じゃあ因みにノーベルがなんでそんなお金持ってて、何した人かって事を知ってる人は少ないんじゃないかな。

それは

2014/11/16

本物のサンタは予想以上に商業的。

この世界で唯一本物のサンタクロースが存在する町、ロヴァニエミ。

そこからバスで10分。

サンタクロース村が現れる。

普通に道路の横にある。

一応エントランスがあり村の説明をしてくれるが、まぁ必要いらんほどの規模。

因みにここでサンタクロース村のスタンプを押してくれる。

入園はタダ。スタンプは有料。笑

サンタまでもうすぐそこ。

サンタの屋敷の中に入るとまるで遊園地のセット。サンタがどうやって世界中の子供達を見ているのかがわかるようになっている。

どうもサンタは特別な装置を持っていてそれで見ているようだ。

僕も小さい頃、こうやって見られていたのか。納得なのである。

それを越えた先にサンタが待ち構えている。

おぉ!サンタや!

間違いない!サンタがそこに座っている!

暖かく僕らを迎え入れてくれる。

極東の日本からはるばる来た僕達に、忙しい時間を割いて話をしてくれる。

だってもう年末やから大忙しなはずやもんね。

そんなことを微塵も感じさせず、どっしりと椅子に座って待っててくれた。

服も髭も綺麗に整えてくれている。

さすがだ。

どこから来てくれたのですか??とサンタが質問してくれる。

そんなあたり触りない会話から、サンタのあまりにもおっきい足のサイズに驚いたミカちゃんが質問する。

サンタさん、足のサイズは何センチ??

見た目は35cmほどの靴を履いている。

サンタは答える。

みんなと同じぐらいだよ?と。

え?そうなの?

次に、長いなが〜い髭をミカちゃんが触ろうとすると、

やめんかい!!!

とばかりにその手をどかそうとする。

もじゃもじゃとしていると思いきや、ペロっとめくれた。

まぁそんなかんやであとはサンタと記念写真を撮って終わり。

サンタとの夢のような短い時間はお終い。

外に出るとサンタの助手が、今のサンタとの会話のムービーと記念写真を見せてくれる。

もちろん有料。

写真とムービーの両データ合わせて39€。

普通に5000円越え。

ただのボッタクリやんけ!!!!

その価格で現実に引き戻された僕達はそんな高いもの買うはずもない。

まぁせめてもと、自分の姪っ子にはサンタからXmasに手紙を送ってもらえるように頼んでみた。

無事届くといいのだが、、、

サンタが忙しすぎて残念な結果にならないことを祈る。7€もするし。

それよりも残念やったのは、ミカちゃんがサンタさんもプレゼント貰えるんですか?って聞いた問いに対してのサンタの答えだ。

「時々貰えるよ。」

おいおいー!サンタ!違うやろ!

そこはこうやろ!

「みんなの笑顔が僕へのプレゼントさっ!」

その仕事、俺と変わろや。


2014/11/13

オーロラの下で


ヘルシンキから飛行機で一時間半。

ラップランドと呼ばれる北極圏イヴァロについた。

そこから、あたかも人を乗せてない過程で自殺行為を計るスピードバスでサーリセルカという場所まで行く。

もうここは今までに体験したことのない世界。

マイナス20度の世界である。

よもや息を吸ったら鼻毛が凍るなんておとぎ話の世界(マイナス世界に住んでる人ごめんなさい。)に自分が来ているなんて何とも摩訶不思議。

だから世界は面白い!なんてことには簡単にいかないのである。

ただ寒い。なによりも寒い。

「過度」に弱い僕。

辛すぎる。酸っぱすぎる。甘すぎる。つらすぎる。暑すぎる。熱すぎる。冷たすぎる。そしてもちろん寒すぎる。

寒すぎると食欲がデブ並になるという持病もちやから、もちろん発病。

いや単にオーロラを観測する以外寒すぎて何もすることがないから食べるしかないだけか。


そうオーロラを見に来た。

自然が織り成す光のカーテン。

気に入って丁度いいサイズなら購入して帰ろう!

いつか建てる予定の豪邸の窓に合うのはオーロラぐらいなもんやろう。

え?ステッカーで充分やって?

ほな、アホな。


それにしても凄い世界や。

朝は10時ごろから明るくなり、昼の3時には日が暮れる。

自分の体内時計がぶっ壊れていることに気が付くまでには時間がかかる。

もう晩飯やなぁと、時計を見ると夕方4時。体内時計はゆうに8時。なんやこれなのである。

それにしても初日は雪が吹雪いてるなか宿の受付が分からず死ぬ思いをしたが、明くる朝この白銀の世界が雲に遮られることなく照らす太陽によって、空も草木も道に積もった雪でさへもキラキラと輝くその様は感動せずにはいられなかった。

美しい。

と素直に心が思った。

そして雲がないということ、これはオーロラを見る最低条件なのである。

物凄いオーロラが出てたって雲で隠れて見えなきゃ終わり。

僕らが泊まる3泊のうち、晴れの予報は今日のみ。

頼むから!!と、てるてる雪だるまなんてのも作ってみようと試みる。

が、大事な手を凍傷にして使い物にならなくなっては仕様がないのでやめにして、祈るだけにした。

今晩は長い夜になりそうだ。

そのためにまず食料を買い込む。フィンランドはなんてったってサーモンが有名。
ここ北欧、安くはない。がこれ食べなきゃあかんやろ!と半身を購入。

サーリセルカに泊まってた間サーモンが尽きる事はなかった。サーモン尽くし。

これがまた脂がのってて身が柔らかく絶品。単純に焼いて醤油垂らして、、、なんてもう。笑

とまぁそんな感じで腹も満たしたので、あのマイナスの世界へ行こうではないか。

外に居続けるのは最長30分しかもたんが、果たして今夜オーロラを見ることができるのだろうか!???


ご心配なく。

万全を期して、オーロラ観測ツアーに金払って連れてってもらうことにしているのであーる。

たまたまサーリセルカで出会った大阪出身OL3人組の子達と一緒に5人で180€のチャーター車を雇ってある。

運がよけりゃ街中でも全然見えるらしいが、この日は晴れていてもオーロラの強さみたいなんが10段階でたったの2!

そんな日は晴れていても見れないこともザラらしい。

今日しか晴れないのに、今日見れなかったらただどんどん太っていく一方やんけ!!

と言うのは冗談にしといて、オーロラを見に来て金をケチる理由はない。

なんならプロに任せれば想像以上に素晴らしいオーロラが見れるかもしれないわけで。

OLの彼女達(中学の同級生)も、会社の少ない冬休みを別々の会社なのに合わせて来ているから今夜しかチャンスが残されてないんだと。

なんとしても見たい!!という気持ちがどんどん膨れ上がる。

が、最初連れて行かれた360度兆候の丘の上、遠くの町の灯りの上にうっすらと雲みたいなものが見えるだけ。

プロの方、あれがオーロラだという。
ちっさいけどね。と付け加えて。

おいこら!ジャパニーズなめんな!どう見ても雲か霧やないかい!!だれがあんなんオーロラ言われて喜ぶんじゃ!

と一応写真に収めてみると、、、

おぉ!!緑!!!笑

確かにオーロラらしい。
オーロラは肉眼ではうっすらとした雲みたいなやつと聞いていたが、、、うーむ、これが人生初のオーロラとするにはあまりにもショボい。

オーロラプロ!別の場所連れてけ!!

とプロはぐんぐん北へ上がる。

時々路肩に停めて電気も消してオーロラを探すもまだ出てないらしい。
とおもむろに携帯のオーロラレーダーを見せてきた。
なんでもそこにはオーロラの強さがその日の時間でわかるらしい。
今夜は0時頃がピークなんだと。
現在23時前。あと一時間か。

次のスポットに着いた。

ない。

次のスポットも、、、

ない。

予定の0時を過ぎた。

おい、プロどうなんや?どこ行ったらオーロラ見れるんや??あんな最初のちっこいので満足せい言うんか?こんなクリアに晴れた日にオーロラ見つけられへんからそのプロの称号剥奪すんぞ!

とまた、おもむろにオーロラレーダーを見せてくる。

すまない。さっきみせたレーダーは昨日のものだった。今夜のレーダーはこれだ。

と見せてきたレーダーの波は人が死ぬ5秒前みたいな波長のやつ。
なんなら、ピークだと言ってた0時のところは、、、

線すらねぇ!!!

死んでピーーー!!!ってなったあと普通に電源消された状態。

死を通り越して勝手に天に昇って行きはったみたいですオーロラはん。

いや全然笑われへん。

もう神に祈るしかない。多分今んとこ生涯で初めて真剣に神に頼んだと思う。

一生のお願いですから!いい子にしますから!どうかオーロラを見せてください!と。

その想いの中どうやら最後の場所に着いたみたい。

イナリ湖というサーリセルカから一時間半ほど車を走らせた場所だ。

行った現在は湖が凍っていてそれはそれで歩いたりできて楽しい場所らしいが、まだ凍ってない時にここでオーロラを見れたら湖にもオーロラが反射してそれはもう想像を絶する世界だそうだ。

だがどうだ!そんな場所でも僕たちが希望を持って見たオーロラはさっき見たやつみたいなうっすらとしたやつが近いだけだ。

でもツアーは3時間。ここで時間いっぱいまで粘るしかない。

足のつま先はもうとっくに感覚を失っているが、みんなの覚悟はできてる。

その覚悟ではなく、やっぱりさっきの僕の一生のお願いですから!のおかげだろう。

白くうっすらと見えるだけのオーロラが気がつけば、天を跨いでいた。

まるで虹のように、天にかかる橋のように、星の間を流れる天の川のように、目に見える空一面にオーロラは姿を現した。

目でわかるほど、はっきりとした緑に輝きながら。時には目ではなかなか見ることのできない赤色のオーロラさへも。

この瞬間はなんとも言えない。

感動したと言えばそれまでだろう。
見れて良かったという安心感もあっただろう。

けど正直その瞬間は何を思っていたのか覚えていない。

ただただ、子供の頃のようにはしゃいでいたことだけ覚えてる。

けど、はしゃいでしまった為に大失態をしてしまうことになるんやけど、この話はまたいつかの機会にでも。


オーロラは今の僕に手に余る代物ではなかった。

ましてや気に入ったら購入して家のカーテンになどとつまらないことを言ってオーロラと読者を侮辱したことを謝ろう。


プレゼントに丁度ええよ。








2014/11/10

ヘルシンキを半日で回ろう!

イスタンブールからウクライナを経由して(ロシアに撃ち落とされなくて良かった。)、初めての北欧フィンランドはヘルシンキに着きました。

到着時刻は昼の1時。

ヘルシンキから約1200kmほど離れたラップランドの町イバロまでの航空券を既に取ってしまっている。

明朝の早いやつ。

ということで、ヘルシンキの宿には泊まらず半日で観光して空港泊じゃー!!

と、自然となります。

バックパッカーにとって空港泊なんて日常茶飯事です。
ましてやここは北欧。
一泊いくらするおもとんじゃい!!

あったかい布団で眠れなくても、懐は多少あったかい。
でんでんでんぐり返ししといたろ。

まぁそれでも空港に連泊なんてのはさすがになかなかないもんなんですけどね、実は連泊やの。

昨日もイスタンブールの空港にお邪魔させてもらってたのよ。
なかなか辛いよ。本音言うと。

けどいいこともあるのよ!

空港職員と仲良くなれたりするよ。

向こうから声かけてくれるし。

まだお日様が登ってないのに
「あなたの場所そうじしてあげるから、どきなさい。」


なんて親切なんやろう。寝てる場所の掃除までしてくれるなんて。


ということでヘルシンキの観光時間は半日。夜には空港に戻ってきます。

気温5度。まじ寒い。ズボン8分丈のスニーカー。小便近なるやつ。

まずは何と言っても腹ごしらえ。

空港泊の場合、空港内が高すぎてろくなもの食べられへん。

と、そこで見つけたのがBuffe!!の看板。

11.5€もするけど食べ放題に魅かれ、即決定。

ええ大人が、過去何度もしてる後悔をまたしただけ。

肉あったけどトナカイじゃねぇし。

まぁ気を取り直して観光再開。

ヘルシンキは小さい町なので郊外まで足をのばさないなら半日で充分やし徒歩で回れる。

ここに来る大半がやる日本人と同じ事をしてみました。

マリメッコ行って、ittala行って、ムーミン雑貨見て、かもめ食堂に行くという鉄板コース!!!

鉄板最高!!!

俺日本でみる北欧とか全然興味ないんやけど、実際の北欧オシャレ過ぎて目がキラキラして胸トキめいてクルクル回りたくなってもた。

映画も好きやから、かもめ食堂にも行けて嬉しかった。

映画とは内装随分違うし、メニューにオニギリなんて絶対ないけど、シナモンロールはあるから浸りたい場合は食べるべし!激ウマっ!!!

で、実はムーミンのアニメファンの僕。可愛いところあるでしょ?

でもムーミンて凄い哲学的なんすよ。
ただのもっさりキャラじゃないのさ。

人生で一度は見ることを勧める。

そしてスナフキンは小学生の時から僕の師匠である。これホンマ。

彼の考え方、生き方は人にとって大切な事を教えてくれる。たまに捻くれてるのがまたいい。


やべっ!そんなん言ってる場合じゃないっ!
一刻も早く荷物を送らないと!!


こうして合わせて5kgも荷物を軽くして、北へ1200km。
イバロへ向かいます。

そう全ては地球の神秘、オーロラを観るために。

5kgも軽くしたから、オーロラでひらひら舞えるんちゃうかな。

んな、アホな。












2014/11/08

トルコ、再入国。

史上最強まで伸びた後ろ髪を引かれながらダハブを去り、シャルムエルシェイクからイスタンブールへこの旅2度目の入国。

次に向かうのはフィンランド。

そこに行くのに色んなルートを考えたんやけどただイスタンブールからフィンランドまでが激安だった為。

そしてイスタンブールは何度行ってもいいと思える場所やし、ミカちゃんも行きたかった場所なので決定。

今回滞在は2泊3日。

やることは決まっている。

サバサンドを食べる!!
ムール貝ピラフを食べる!!
チャイを飲む!!!
なんか買う!!
なんかじゃない、マイナス世界の極寒のフィンランドに耐えるべく防寒着買わないと!!長袖すらないもん。
タフさはロシアの軍人張りやけど念の為。

そして、パンパンに膨れ上がってる荷物を日本に送らなければならないのであーる。

世の中本当に必要なものは少ない。

ましてやバックパッカーの必需品なんてパスポートと金さへあればいい。

けど、ダハブで誰かが言った。

バックパッカーの必需品は、「楽しむ心だ!!」と。

ちくしょう!!!やられた!!!オシャレ過ぎる!!!

全員一瞬、口をあんぐりと開けたが全員一致でその意見に賛成した。

言った奴が言った奴だけに、納得するのに多少渋ったけどね!笑

がっちゃん!ごめん!!笑


ミカちゃんは何故か石鹸らしいが、、、笑

僕の場合はもちろん、鋏である。

前回このイスタンブールでロストバゲージしたので今回も不安を隠せなかったが無事荷物でてきた。

毎回それが不安材料である。

まぁでもここに挙げた以外のものは本当は必要ないぐらいのものなのにねぇ、気が付けばいっつもパンパンになるねーん。

パンパンやないか!!と巨人さんにツッコミ入れられるわぁ。なんてつまんないことでも言ってみた。

荷物送るの4回目ー。

内、トルコから送るの2回目ー!!なんて思ってたら普通に日曜で郵便局閉まってて無理でした。

そのままフィンランドに持ってく方向に強制的に決まりました。トホホ。送料たかなる。


いやしかし、イスタンブールホンマにいいわぁ。

なんかめっちゃいいねんなぁ。素敵やねんなぁ。

首都でこんなに心躍る場所ってのも僕の中では珍しいねんで。

その辺は、僕の心さんの査定めっちゃ厳しいねん。アコムぐらい厳しいで!


ということで無事に防寒着はGETしたので、いざフィンランドはヘンシンキまで行きたいと思う所存です。

つい数日前までTシャツ短パンやったのに俺死なへんかな?






2014/11/05

恋するダハブ。

エジプトのダハブと言えば、最近のバックパッカーの有名な沈没地の一つ。

エジプトで最も治安の悪いシナイ半島の南東に位置する紅海のリゾート。

カイロや隣のイスラエルやヨルダンから束の間の安らぎと癒しを求めてバックパッカー達が一同に集う。

そしてあまりの居心地の良さと破格の物価の安さ(宿一泊300円)
からついつい沈没してしまうという、ゴールデンサイクルになっているのである。

「何もしないで一ヶ月以上います。」なんてザラな場所。らしい。

けど紅海は世界中のスキューバダイバー達の憧れの場所でもあり、格安でライセンスがとれることでも人が集まるのである。

僕もタイのタオ島でダイビングの魅力を知ってしまった以上、外せないSPOTなのである。

どちらの人種からも人気。僕はもちろん中者です。欲張りやから。

そんなことでカイロからバスで10時間ほどかけて移動する。

これがまた大変。

さっきも言ったように、外務省のページでもシナイ半島はダハブ周辺の一部を除いて真っ赤、、、超危険ゾーン。

はい、ビビりまくっております。

ブルブルしています。

その隣で極度の不安持ちの為、明らかに半狂乱の人(みかちゃん)がいるお陰で何とか気持ちを保ってるのが事実です。

飛行機で飛んじゃう方法もあります。が、そこは安さには勝てん訳です。

この時ばかりは神に頼みましょう。最優先で僕の願いを叶えてください。
他人は後回しで結構ですから。

世界中で同時に自分最優先で神頼みしてる身勝手な奴がいたらブン殴ってやるんだ。

どうやら普段の行いの良さでしょう、願いが叶ったので幾つもの検問を通過し無事ダハブに着きました。


ダハブには有名な日本人宿が2つあります。

「7 HEVEN HOSTEL」と「DEEP BULE」です。

どちらも日本人インストラクターが在中しているのでライセンスを取るのも安心。

僕はOW(オープンウォーター)ライセンスしかなかったので、30mまで潜行可能なAOW(アドバンス)ライセンスまで取る予定だったのでセブンヘブンに泊まることに。

この決断が僕の3週間に渡るダハブ生活を最高のモノにしてくれました。

初めのうちは海の見えるカフェでマンゴージュースでも飲みながらのんびり敢行。

ダイビングが始まると次第にそれを通じて仲間が増えていった。

2人から3人、5人から9人て具合に。

毎日昼頃宿の前に来るコシャリ(エジプトのファストフード)を食べにぞろぞろ集まり、食べながら談笑。
のんびりしたり、シュノーケルしたり、ネットしたり、寝たりしてそれぞれ過ごし、夕方また集合し今晩の飯を決める。

うち2日に一回はBBQ!!
生きてる新鮮な鶏を捌いてもらいに皆でMarketにいき、野菜を買い込み米を炊いてセブンヘブンの一角で遅くまで大人数で酒を片手に火を囲む。
それが一人200円ほどでできるんだからそのペースになるのも仕方ないのである。

が、何より純粋に楽しい。

ダハブにいた3週間。
毎日一緒に飯を食い、皆でシュノーケルをしたり、皆で船に乗って海底に沈む沈没船を見にいくダイビングツアーに参加したり、トランプしたり人狼ゲームやったり、ここでこのタイミングで出逢ったメンバーは最高のメンバーだった。
極度の日本人宿嫌いやし、無理に距離を縮める行為が嫌いやからダハブに着いた当初いた宿のメンバーや最後の方に来たメンバーとは正直仲良くなれる気がしなかったけど、この仲間とは自然に距離が縮んで毎日を過ごすまでになった。
それぞれに個性があって、誰といても誰と話してても、みんな集まっても人と人との間にストレスを感じることはなかったなぁ。

皆、ダハブを出る時期がほとんど同じで一人また一人と新しい旅路へ向かっていくのを見送るのはすげぇ寂しかったし、見送られる時になった時もダハブを離れるのが辛かったなぁ。

最後にやったBBQなんか、泣いて、酔いつぶれてスタッフも入れてめちゃくちゃやったん今思い出してもわらけるわ!笑

そして宿のスタッフの皆の信じられないぐらいの優しさは本当に心に染みるものがあったし、世界で一番素敵な宿だと思う。(トイレのうんこが流れないことだけは除いて、、、)

ここに来てよかった。

僕はこうして、ダハブに恋したみたいや。

普段冷めてる僕がそう思うんだから間違いないよ。

3週間は短過ぎるほどに充実した日々だった。


ゆうこさん、キムくん、のりくん、はるかちゃん、ゆうま、いくま、ゆうすけさん、まりちゃん、あすこちゃん、うっきー、けんちゃん、りょうちん、がっちゃん、宿のオーナー、オーリッシュ、ミズ、ムスタファ、インストラクターのまりさん、さおりさん。

出逢ってくれた人どうも有難うと心から伝えたい。


寂しさで悲しむよりも、また逢えることを楽しみにしたい。


この地球は広くて、そして狭いんだから。























2014/11/03

地球散髪屋〜ダハブの夜明けぜよ〜

今日もダハブの一日が終わろうとしてる。

いや昼間のダイビングを終えたここから夜明けまでが更に楽しい時間じゃないか。

仲間との楽しい時間。

その出逢えた仲間の中の、イクマとユウマに髪を切ってくれとお願いされた。

2人は元々居酒屋の店員(イクマ)とお客さん(ユウマ)という関係性で知り合いらしい。

そしてインドから一緒に旅をしているみたい。

まぁ俺が言うのもなんですが、なんと腐れ縁てやつです。

京都出身てこともあり、勿論ラーメン話に華が咲く。

けど、ダハブ着いた初日からダハブの病院に4日間入院したイクマ。ダイビング初日でダイビングマスターという15万ぐらいかかる免許を取ることを決めたユウマ。

そして2人ともパソコンとカメラを持たぬ若者バックパッカー。

最近の旅なんて、パソコンと大層なカメラを掲げた旅が主流。
なんでもインターネットで情報は簡単に手に入るし、世界一周ブロクなんていうサイトもあって皆何を目指してるのか知らんけど丁寧に行き方や値段、宿まで丁寧に先人達が写真と共に載せてくれている。
それをたまに有難く利用したりしているからなんとも言えないんやけど、全くもって最近の旅とはつまらないイメージになってる。
今やLCCという格安航空会社も増えたし、日本でも世界一周のイベントやそれにまつわる本なんかも腐る程でている。
まぁようするに旅なんてものは思ってる以上に簡単にできるもんなのである。

そんな中なかなかマレな若者2人。
大層な語学力もないし、一方はバックパックの重量7kg(出逢った旅人の中で最軽量)。もう一方はボブマーリーのTシャツしか来ない2人。

まぁそれ以外にも様々なエピソードを持つんやけど流石にそれを全部ここで書くと手が疲れるので止める事にする。


紅海を挟んで対岸のサウジアラビアの大陸が夕陽で赤く染まっている。

サウジアラビアがこんなにも近くにあるのにここの海は今日もなんとも穏やか。

しかし、今晩も皆で飯を食う予定やから実は時間がない。
しかも、日が沈んでしまっては手元が全く見えなくなるのでどうしようもない。

本来はそんな切羽詰まった時間の中切るのは嫌やねんけど仕方ない。

ユウマはトップは伸ばすからサイドとバックを刈り上げ直してほしいらしく、イクマはクリスチアーノロナウド以上中田以下にしてほしいらしい。

まぁユウマのオーダーは聞いても、イクマの方はそんなもんは無視してやろう。

早速切っていると、うぜぇエジプト人が寄ってくる。
ルクソールの時と一緒。
ここで切るなって言いたいらしい。
ちゃんと綺麗に掃除するから許してよとお願いすると、なんとOKをもらえた。
ほぉ、話のわかる奴もいるみたいや。
が、ただ興味津々で俺も俺も切ってくれと言ってきやがる。
興味を持ってもらうのは有難い。
金も払うと言う。
けど、そんなんじゃ俺はあんたらの髪なんて切りませんのよ。
じゃーね。

2人の髪を切り終える。
もう既に日は沈んだし、真っ暗な中携帯のライトで切ってたんやけどなんとも上出来。

イクマに至っては本来実はもうちょっと切りたかったんやけどタイムオーバーだったので、まっいっか!!笑

けど次の日の朝、エジプト人達にこの髪型めっちゃ好評ですよー!!!って喜びながら速攻言ってきたので、じゃいっか!!!笑


俺はそんな2人が好きだ。

またどこかで会いたいものだ。